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50代、精神疾患持ちのシニア主婦ブログ。

精神科治療と投薬と増薬

■薬を増やすかどうかの判断

 私自身は一番悪かった時は、一回で10錠くらい? 一日三回飲むので30錠くらいの薬を処方されていた時期がありました。あの時は病みすぎていて、医師の出す薬に疑問を持つ持たないは関係なく、飲んでいましたし、いや、病みすぎて、飲んだり飲まなかったりしたことが私の病気を悪化させたとも言えるかもしれません。(天涯孤独の私に、自分自身で薬の管理をしろというのは不可能)

 

 因果関係は自分の体験値でしか語れないのですが、あの頃、強い睡眠薬を処方されていたとしたら、その時の私にはそれが必要だったのかもしれないとも思えます。私にとっては「眠れない」ということと、「食をコントロールできない」ということが一番大きな問題だったと、今となっては思います。

 

 「眠れない」ことで病気が悪くなるのであれば、眠ることを優先に考え、「強い睡眠薬」を多く出すということも必要だったのかもしれません。「過食」「拒食」を繰り返し、体重が20~30キロの増減を数ヶ月ごとに繰り返していた私には、まずは情緒を安定させるために[精神安定剤」を増やす必要は、あったのかもしれません。

 

 さらに、私は一番ひどい時は、血圧が上が50、下が30という時があって、降圧剤ならぬ、昇圧剤という血圧を上げる薬も処方されていたので、どれが精神薬で、どれが体を維持するための薬だったのか、今となっては本当にわからないのです。

 

■薬は増やすのではなく、かえるという方針の医師

 

 これは医師によって考え方が違うのですが、薬は増やさずに種類を変えるという方法論の医師もいます。

 

 ですが、「脳の命令伝達系統の異常」からくる苦しみを極力減らすという意味では、「増薬」というのは意味を持つと思いますし、「体」や「薬に対する拒否感」への負担を減らすという意味では「薬は種類を変えて、数は増やさない。」という選択がよいのではないかと思います。患者自信、あるいは患者のご家族がその選択権を持っているし、どの選択をしてどの結果が出た、みたいなことは選択に対する自己責任としか言いようがありません。どちらにしても、医師との交渉を自分でするしかないという現実はあります。

 

できるだけ、薬を増やさないやり方はありますか?

薬を増やさない医師のやり方とはどう違うのですか?

薬を増やすということにはどういう意味があるのですか?

 などなど、疑問点は素直に質問をし、それでイライラするような医師なら「はい、さようなら。」でいいと思います。患者側も精神科医を選ぶ権利があると思います。「おめーじゃ、話しにならないんだよ。」と、行かなくなった精神科の町医者、大病院の医者(特に若い医者)はいました。会社の関係で関わらざるを得ない医師が未熟であれば、それはそれとして関わり、セカンド、サードとフォースと聞いて回って合う医師を探すという手もあります。転院、転院というやり方もあるにはありますが、やはり半年くらいは関わってみないと合うかどうかは未知数とは感じます。私の体感では心療内科より、病棟を持つ精神病院の方が良い医師がいるという体感です。

 

正直、この人合うわぁと思った精神科医は1回めに行った町医者と

5回か6回ほど転院した時の(もっとかもしれないけど。。。)の医者。

 

ごめん、医者に対しては、この病院はセカンドですよ、サードですよって、

言えば話が早いのでそう言って話を詰めていたので、

一般患者には分かりにくい表現だったと気づきました。(反省…)

 

まじめに、無知で未熟な医者についていく必要はありませんが、

無駄に医者を疑う必要もありません。

素直に聞いて、こいつアホだからムリと思ったら

相手にしないようにしましょう。たとえそれが産業医であっても。

 

■自分の体で人体実験をしていると思おう

 

 私自身は新しい薬を一種類増やしてみるということは精神病に対する投薬というチャレンジでもありました。即効性のある薬は頓服(とんぷく)として、その場で飲むのですが、漢方薬や一部の精神薬は数ヶ月飲み続けることでしか効き目が体感できないものもあります。

 

 これは、長期的に自分または家族が長期的なスパンで良くなっているかを認識できているかどうかに深く関係があります。うつの回復値を数値にあらわせるとするならば、株価のように乱高下しながら徐々に上がっていくというのが正常な回復の過程であって、焦りや周囲の期待感で派手に気分が落ち込むことがあったとしても、半年前よりはよくなった、1年前よりはよくなったという長期的なスパンで物を考えることが肝要です。

 

 私自身は焦りすぎたこと、おせっかいであったことが自分の首を絞めたとしかいいようがありませんが、そこらへんのバランス感覚は自分で身につけていくことしかできないと思えるのです。それは、祈るような気持ちとしかいいようがありません。

 

 これは、あくまでも私の患者であったことの体験値であって、なにかしらの統計的、科学的、医学的な裏付けがある話ではありません。あたし的にはこうだった。というお話ですが、誰かの参考になれば幸いです。

 

高円寺ららぁ