日本は恥の文化が強すぎて
大人は黙ってやせ我慢という態度をとり、
本音を言わない。
そして、賢くて真面目で優しい子どもたちは
「子供も黙ってやせ我慢」と頑張ってしまう。
それが、良い方向に向いた場合は良いのだけれど
優しくて真面目で、強い子ほど、親の呪いに呪い殺される。
本音を言えない子なんて、ざらにいます。
佐世保の同級生を殺した女の子です。
神戸の酒鬼薔薇聖斗ですよ。
あれですよ。
何の問題もない優しくて優秀で、みんなから見て
否のウチどころのない素敵な人を、少しも、うらんだり妬んだりしない人って
よっぽどの大自然にかこまれて、よっぽどの家族愛の中で育った人なんだろうけど
そんな人、すっごい低い確率でしか、いなさそー。
私は親から、いつ、命を落してもおかしくない肉体的な暴力を受けていたし
精神的な暴力(モラルハラスメント)も命を落とすほどのものでした。
精神的な暴力=口げんかです。
口ゲンカが出来る人たちはまだいいけど、
「威圧感」「態度」で、親が子供を殺そうとする時があります。
空気を読める子(=読むように育てられた子)はだいたいこれで、殺されます。
いわゆる「黙殺」的な?高校生がいうところの「ハブられる」っていうやつ。
今は、また新しい言葉ができてるのかもしれないけど、
無視した上に、私(達)の思い通りに動かないと無視するからねっていう
さらなる圧力をかけるんだから、陰湿ですねー。
これ、15,6歳の高校生でもいい年の人間様が何をあほなことをやっとるんだ?
って思いますけど、わが子が思春期を迎えようとする30代くらいの親がやるから、
そら恐ろしいんですよね。
自分が親の「態度」で殺されようとするとき、子は、
一番、強烈な親への猛抗議・みせしめ・復讐として、
自殺未遂、犯罪行動、動物虐待くらいから始まって、
最終的に何の罪もない人を殺して、親を自殺に追い込みます。
彼らは、親を肉体的に、あるいは精神的に、殺して、勝った。
それが、いいのか悪いのかは法律では判断できません。
それぞれが、それぞれの胸に手を当てて考えるべきなのです。
私は、神戸、佐世保の壮絶な闘いには複雑な思いがあります。
私は幼稚園の頃から死にたいと思っていました。
小学校の頃には自分が死ぬだけでは物たらず、
父親、祖母、兄弟、全員を殺さなければ気が済まないとさえ
思った時期もありました。
そして、実際に家族を皆殺しにすべく、障子(家)に火をつけました。
ですが、湿度が高かったのでしょう。障子紙が燃えただけで、
家は燃えませんでした。
めらめらと燃える障子紙を見たとたんに、
小学校3年生くらいの私が思ったことは、
「死ぬのが怖い。」ということでした。
たぶん、その火が結構な温度で熱かったから怖かったとか、
炎の勢いが怖かったとか、
そんなことで「死」の怖さを意識したのだと思います。
小学校5,6年では、確実に
「神道の神様、キリスト教の神様、仏教の仏様、私に永遠の命をください。」
って寝る前に3回くらいはお祈りしてました。
子はいつかは親にいなくなってほしいと思うのが自然な流れだと思います。
生物学的に見ても成人になったときに獲物をしとめる能力が同等なら
早く年をとった側が早く老いてゆき、子の足を引っ張るのは当然過ぎるほど当然。
自然界では、食えなくなった親は野垂れ死にして当然。
でも、自然界では子は親をあっさり見捨てていいのに、なんで人間界は
親を捨てるな的な啓蒙活動をするの?という疑問を若い頃は持っていました。
よくよく考えれば「介護保険制度」ができるまでは、
親=老人なんて早く死んでほしい存在に変化しやすいものだったのだと
推測がたちます。だから「姥捨て山(うばすてやま)」の伝説が
ずーっと語り継がれてきたんだと思う。映画では「楢山節考」ね。
あれって、怖いっていうよりも現実的すぎて、
結局、一週回って「尊厳死」っていう社会の課題として戻ってきたよね。
はてなーでいうところのブーメランってやつ?
昭和で言うと、本気で、老人が文句もいわないような質の良い介護を
子が親に与えようとしたら一ヶ月20~40万円くらいかかったんじゃないの?
そして、その当時は子育ても介護も、
それに特化した便利用品なんてありませんでしたから、
女達の家事労働の不便さと(肉体労働・精神戦)での労力は
男が24時間戦えますか~♪って踊らされていたのと同じくらいの
苦しさだったと思う。紙オムツすらない時代で、老人用の紙おむつなんか
当然なかったわけですしねー。
オムツという名の、うんこやしっこのついた布をあらうとこからでしたよ?
だけど、男は24時間戦えば、
地位(昇進)や金(昇給)が得られやすかったけど、
女は家事・育児・妻、女をぜんぶやらされても意識の高い男しか
褒めてあげなかっただろうし、
すごい仕事をしているねって言ってもらえないのが当然だった。
女なんだからやってあたりまえ的な?
ついでに、男は仕事関係で忙しいから、
親族がらみの面倒なことを妻におしつけるなんていうのは
良くあった話なんだろうし、
逆に、妻は「社会の仕組みなんか一切しらないだろうから」とか
妻には心配をかけたくないからとかで、
妻に一切、親族のごたごたを話さない男性もいた。
いまの50代~70代って、そういう感じだったみたい。
当事者達から聞い話たから間違いない。
そんなこんなで女は家の中で「家事労働」と「育児」しとけ!
嫁いだら「夫」に、老いたら「子(男児・長男)」に従え!とか
とにかく、女なんか物を考えるな、従い癖をつけろ!現代の社蓄並みにね。
って、なってたんだと思う。誰のために、何のために「畜生」になるかだけの違い。
人数が100万とか超えてくると、管理をするために組織ができて、
組織=社会=国ってなりやすいのが現代。
そこに「国なんかなくしちゃえ!」って歌ったのがジョン・レノン。
「ついでに個人と個人の垣根なんかなくしちゃえ!」って描いたのが
エヴァンゲリオンの庵野さん。シンプルでわかり易いものって
人気が出やすいね?ーヘ(゚∀゚*)ノ
でも、親を肉体的に殺すのはダメ!てか、人殺し全般だめだからね。
当然、自殺も自分の肉体を殺すわけだからダメ!
家を出て、行方をくらまし、
親にいどころを教えず、葬式にも行かないのが
最大の復讐です。そっちのほうが、はるかに強烈な復讐です。
覚えておいてください。
これが、「うらみ、妬み」の犯行の真相です。
「子供に厳しい親」=「子供を心理的に虐待している親」です。
そういう親は、子供の犯罪で自殺に追い込まれる前に
自分の見栄や、血族、家系なんかかなぐりすてて
愛する人や、愛する子供や、自分自身のために生きるべきなのに。
それか、逆に、あきらめるなら100%あきらめて、「滅私奉公」するのが良策。
少なくとも今の日本国な中なら自由度が高いんだけどねー。
選ぶのが怖いのか、「選ぶ」ということを知らないだけなのか。。
それができない家庭の子供は、必ず病みます。
家族全員が大なり、小なり病むと言っていいでしょう。
だから、言葉という暴力と戦うときに、
自分が言葉という武器を持ち合わせない子たち、
あるいは優しくて親に反撃できない子たちは、
サブカルチャー・エログロ路線に助けを求めるのは
ちょーーーー自然で、ちょーーーー正常です。
むしろ、親が心理的にしっかりした人の子供は、救われる必要がないから
サブカルやエログロを強く求めないような気もします。
興味自体を持たないか、たしなむ程度に楽しんでいるように見えます。
それを攻めるアホな親や、大人が周囲にいるなら
足を引っ張るだけなので、捨てなさい。
そういうアホな親を捨てられないのは、親にお金や住む場所を
提供してもらってるからでしょうから、妥協点は自分で見つけなさい。
すでに、妥協点の見つかっている人は
私がいかに攻撃的な文章を書いても、腹がたたないはず。
乗り越えちゃってる人だから。色んなことを。
文学も、科学も、「高度な批判合戦」によって、
より、研ぎ澄まされていくのです。批判や非難はだれでも怖い。
でも、批判や非難は「自信のない人たちの自己防衛手段」なのです。
正当でない批判の目的は、こちらを攻撃することではなく
自分を守ることなのです。特にネットはそういう傾向が強い。
だから、そういう人たちは
はなから、私と同じリングに立っているボクサーだとは思っていないの。
私はリアル社会でしか、口げんかしないし、なぜそうなのかと言ったら、
感情論込みでけんかなわけだから、顔の表情とかジェスチャーとか
放っているオーラも含めて盾と矛として戦うわけだから、
活字だけの世界で戦うなんて時間のロスが大きすぎる。
女の感情論を持ち込んじゃえば、男もネットの人たちも
相手にならないし、相手にしない。向こうも近寄ってこない。
それはリアル社会でも同じ。面と向かってけんか売ってくる人なんかいない。
いたとしたら、私にちょーー興味を持った人だけ。
その他大勢は、せいぜい、陰口をこそこそ言ってるくらい。
そういう人たちに媚びると、際限がないので、
宇宙と地球くらいに心理的な距離をとっているので、
あんまり、足を引っ張られることはなくなってきました。
私はブログで意見表明はしても議論をする知力も時間も体力もないので、
このブログを見て何かを感じた方は、リアル社会で友人と語り合うなり、
ご自分のブログなりなんなりで、ご自分のご意見をご表明ください。