強がって、意地を張って生き続けて、
いまや中年のいい年のおばちゃんなワタクシ。
でもね、たまにはセンチメンタルな気持ちにもなるのよ。
あの人の前ではよく泣いたな。
誰の前でも、泣かない私が。
泣くときは、いつも部屋で一人で泣いてた。
あれは何故だったんだろう。
なぜか、彼のまえでは心がほどけるようで
ぬぐっても、ぬぐっても涙がとまらなくて
自分でも、人前でこんなに泣ける人間なんだって
おどろいたりもした。
そのたびに、彼はおろおろと箱ティッシュを取りに行って
そっと、私の前に置いた。
私は、自分自身の無力さがたまらなく虚しくて、
社会で重責を負っているであろう彼に、たずねた。
「あなたは、その立場にあって、自分の無力さをを感じることが、すごくあると思うんです。そういう時、どうやって自分自身の体制を立てなおすのですか?」
と。
すこし、長い説明だったけれども、最後に、
「良くなって行くほうを見るんです。」
と、
力強く、凛とした目で、
まるで、自分自身に言い聞かせるかのように言ってくれた
あの言葉。
彼の回答は、私にだけでなく、社会に対する思いやりに満ちていた。
社会で役割を果たす人というのはこういう目をするものなんだと、
あの時、思った。鋭いような、優しいような、あの目。
一緒に涙ぐんでくれた、君よ。
忘れえぬ君よ。
君は私の内側に、
何かしっとりとした、
安心のような物を残して行ってくれた。
君よ。
君よ。
君がそれを選んだのなら、その道を突き進むがいい。
その残骸を、いつか私が拾いにいくわ。
*いい年になると、そんな思い出のひとつやふたつはあるものなんでしょうね。