パリのテロの事件を見て驚いています。
東京、パリ、ニューヨーク、ロンドン、マドリッド、ここ数十年の間に
私がニュースで聞いただけでも、同時多発テロが主要都市では
起こってしまいましたね。(イスラム国が関係ないケースも含む)
私は、世界が平和であることを祈ることしかできない。
だから、知り合った人には一所懸命に誠実に接する。
皮肉屋だから、相手をちょくちょく傷つけたり、怒らせたりするけど
その場にとどまるな。成長するんだ。青年よ。という叱咤激励のつもりで
皮肉を言っているので、分かってくれる人は分かってくれる。
私の献血手帳。
うつ病で薬を飲み始めたことで献血させてもらえなくなりました。なので、平成14年以降一回も献血はしていません。というか、させてもらえません(笑)
私は、RHマイナスと言って特殊な血液型。この手帳を持っていた当時はBのRH(ー)は1000人に一人と言われていたけど、今はどうなんだろ?若いころは、有り余るエネルギーのぶつけ先がなくて、いろんなボランティアに中途半端に手を出して、献血も足しげく通っていたら、赤十字の方から、
「急患がでて、B型のRHマイナスの血が足りないんです。今すぐ来られますか?」
と、緊急呼び出しの電話までかかってくるようになりました。
緊急呼び出しが2週間に一度、つまり、血液を搾り取れる最短スパンで呼び出されていたことになります。写真に撮ったカードの一番下に80と書いてあるので、逆算すると、73回献血したことになります。うつ病になってから、整理整頓ができなくなって、なにかしら水のようなものをぶちまけたようで、うっすらとしか記載は読み取れませんが、
今となっては、私の誇りです。だけど、このカードは写真に残してすぐに捨てました。(ちなみに30回めの賞状も、50回目の盾もいただいた直後に捨てました。昔はいりませんって言えるシステムがなかったの。)誇りというのは心のなかに持つもの、形として持つのは虚栄心の始まりになりそうで、ちょっと怖いのよ。だから、捨てたの。
パリで、同時多発テロが起きた直後、パリの人達がテロで怪我をなさった方たちのために、と、積極的に献血に行っていらっしゃる姿を見て、ああ、私も若かりし日は、価値のある血液を持っていたのねーとしみじみしつつ、どこかで、悪意が働けば、どこかで善意が動いて欲しいと、また、いっそう、しみじみと感慨深い気持ちになるのでした。
私は、若い頃に書いた詩に「善と悪はどちらも、負けず、どちらも勝たない」と書きました。どこかで、折り合いをつけるためには、できるだけ、できるだけでいいの。人にやさしく。そして、自分にもやさしく。強い悪意が働いたら、強い(偽善やスローガンではない)善意が働いて欲しいと祈り、また自分に出来ることを探すばかりなのです。