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50代、精神疾患持ちのシニア主婦ブログ。

底辺は技能がないから底辺なのになぁ

menhera.jp

私はこの記事に対して

「幼稚園の頃から出力0の日と100の日があり、幼稚園も学校も行ったり行かなかったり。仕事も出力0の日は行けなかった。最近はタオルで目隠し(感覚過敏で少しの光もイヤ)して一日中寝ていることが多い。就業は諦めてる。」

と、コメントしました。

 

nenesan0102.hatenablog.com

 

そうして、ネネさんのこの記事を思い出しました。

 

 発達障害や精神障害は程度や症状の差が非常に細かく分かれています。ネネさんの記事を読んだ頃、私はちょうど精神科医と出力のムラについて話し合っていました。精神病からの社会復帰の段階としては、まずは作業所に通い始めるのが望ましいとのこと。ですが、私の場合は作業所に集っている患者さんほど、社会適応能力が低いわけではなさそうなので、精神障害の社会復帰の支援活動をしている施設で週一で働くところから始めてみてはどうかと言われました。

 

 週一からはじめて、週二、週三と増やしていくというのはどうかというお話でした。ですが、上記でコメントしたように、私は幼稚園の頃から出力が0という日が多く、出力0の日は、幼稚園も学校も行けませんでした。大人になって働くようになっても、出力0の日は、本当に動けなくて(替わりが見つかったら)仕事も休んでいました。また、替わりの人がいないのにどうしても動けなくて休むこともあり、これはかなりのひんしゅくをかっていましたね。長期的に見ても、特に冬に出力0が続くことが多く、冬になると仕事をやめる、あるいは精神病棟に入院するということを繰り返していました。

 

 私の場合、出力0とはどういうことかというと、トイレと水を飲む時以外は横になっているという状態です。

 

blog.lalamiamor.net

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 私が精神病で動けなかった時の様子を書いた記事がここらへんの記事です。

 

 医師は支援施設で週一で働くところから、「徐々に慣れていって」、時間や日数を増やしていくという発想なのですが、私の感覚からいくと、週一でも、「その日」が出力0だと動けない、つまり出勤できないのです。

 

 医師は私を過大評価していました。というのも、私が通院できる状態、つまりは起き上がって公共交通機関に乗って移動できるほど快調な状態の時しか、私に合っていないからです。通院できるくらい快調なときは、自分の症状や置かれている状況を理路整然と順序立てて話ができるというのが逆に誤解を生んでいました。家で寝たきりで起き上がれない時は、当然病院には行けませんから、医師は一番ひどい状態の私を見たことがないのです。

 

 私のように生まれも育ちも底辺だと、高い教育を受けるということや、手に職をつけるということの重要性をあまり知らずに育ちますし、経済的な問題で手に職をつける機会のない人も多くいるでしょう。

 

  また、精神、発達、知的に問題がある人は、学習能力事態に問題がある場合もあり、学力や職能を身に着けられないケースも多いでしょう。

 

 最初のADHDの記事に話をもどしますが、残業うんぬん言える職場にいる人たちはそれだけですごいっていうか、技能があるんだなーと思いました。

 発達障害や精神障害のある人はそもそも、体をその場にもっていかなければいけない職業に就くケースが多いという印象があります。飲食店、コンビニ、スーパーなどの店員、警備員、工場労働、現場作業員、清掃員、テレオペなど、技能のない人の職場なんて限られています。逆に、私自身が精神病持ちで、そういった職場を転々としていたときに、同類(何かしらの精神、発達、知的、人格的な問題を持っている人。)が多いと感じたのを覚えています。

 

 そういった経験から、フレックスで働けるくらいの技能をもった障がい者なんて、雲の上の人の話みたいで、フレックスとかフリーとか自営とかリモートワークとか、技能や才能があることを前提にしたブコメが多いことに、すごくモヤっとしました。

 

 出力の安定しない発達障害者や精神障害者は案外、自分の能力や出力の程度を理解していて、週に働ける日数や、1日に働けそうな時間数を逆算して、短時間勤務や、週3~4日のシフト勤務を許容してくれる上記のようなアルバイトに自ら進んで応募するというのが現実だと思います。

 

 障害がはっきりと認められる程度の人だと8時間労働とか、正社員とか自体が夢のまた夢で、残業とかフレックスとか、そこまでの議論に達するまでの労働環境にいないというのが正しい認識だと思います。

 

 この冬も、トイレと食事以外は横になっているという状態が続きました。結婚してからは、一人暮らしの時とは違って夫がご飯を作ってくれるので、食事を買いに行けずに栄養失調になるということはなくなりました。ですが、毎日タオルをかぶって寝ているだけの生活で、生きていて申し訳ないという気持ちでいっぱいになるときがあります。私は社会のお荷物だという罪の意識でいっぱいになるのです。

 

tabi-labo.com

  それとは逆に、この記事にあるように、良い家柄に育っていたら、多少の障害があったとしても生きていけるだけの技能を身につけさせてもらっていたかも、自分の人生は違ったものになっていたのかも、という、妬(ねた)みや、嫉(そね)みの気持ちでいっぱいになる時もあるのが、包み隠すことのない正直な気持ちです。