若者から中年へ、中年から老年へ
ダチョウ倶楽部の上島竜兵さんが亡くなりました。渡辺裕之さん同様縊死だそうです。
三浦春馬さん、竹内結子さんは若者から中年になる時期に、渡辺さんや上島さんは中年から老年になる時期に、うつ状態になってしまったのかもしれませんね。
若者から中年に、中年から老年にという段階を経験中の私としては、体力や精神力、他人からの注目などなど、老化とともにいろんなものが失われていく感覚をひしひしと感じてしまっています。
最近、夫に「夢も希望もない。」とか「無力感がひどい。」とか言っている私です。上島さんのニュースを見た後、「上島さんの気持ち分かるわー。」と言ったら、夫がひどく心配していました。私まで自死するのではないかと。
若い頃にエネルギッシュだった人達ほど、老いてエネルギーを失っていく自分に耐えられないのかもしれません。
中年期から老年期に起こる負のイベント
- 元気に活躍していた才気に溢れる人も、案外あっさり死んでしまう。
- 学歴・経歴・評判。そういったものを何十年も積み上げてきても、小さな選択ミスによって瓦解することが周囲の人生を見ていてわかってくる。
- 自分という存在の少なからぬ部分が「過去」によって構成されていることを思い知る。
- 健康の喪失。
シロクマ先生が上記の記事で書いているように、中高年期になると、このような現実が突き付けられ、人生に対して「恐怖」のようなものを感じるようになります。渡辺さんも、上島さんもこのような中高年期のもやもやに呑み込まれてしまったのかもしれませんね。
生きるのも死ぬのも怖い…というのが、私の最近の実感です。生きていても、のんべんだらりと続く意味のない時間。途方もなく長い1日24時間の使い道が分からず、考えたくもないので、意識を飛ばすために「ふて寝」をしてしまう。寝ていれば、意識がないので、自分の人生の無意味さや味気なさについて思うこともない、それが、唯一の救いとなっています。
若い頃は、「将来はこうなっていたい。」「将来はこのような自分でありたい。」などという妄想を抱くことができていましたが、この年になると、将来に待ち構えているのは「死」でしかないという思いが強くなってきます。
健康な老人と病弱な老人
道端で歩行用カートを押しながらヨタヨタと歩いている老人を見かけると、将来の自分とそれを重ね合わせて、「あんなにゆっくりしか歩けなくなるんだなぁ」としみじみしてしまう。そんな感覚が日常的になってくるのが50代60代なのだと思います。
そういった無力感が、人を死に追いやってしまうのかもしれません。
また、50代60代は心身ともにもともと丈夫な人と、心身ともにもともと弱りやすい人の乖離が激しくなっていく時期のような気がします。
ほんの数年前までは、駅前のデパートを闊歩しているおじいさんおばあさんたちを見かけては、最近の老人は元気だなぁと思っていました。ですが、私自身ががんを患ったり、首ヘルニアで通院するようになって、病院には歩くのもままならない老人たちがゴロゴロいると知るようになりました。
ああ、そうか、不健康な老人たちは外出がままならず自宅に引きこもっているか、病院にいっているんだ。デパートにいるような老人たちは、老人たちの中でもかなり元気なほうの老人なんだ…と気づかされました。
老年期の体力の低下が一番キツい
私自身も、自力でデパートなどの街中にでかけることはめっきりなくなってしまいました。心身ともにひどく疲れてしまうからです。夫が気分転換にと、車でカフェやレストランンに連れて行ってくれ、それが良い気分転換になっているのですが、それもひどく疲れてしまいます。
若い頃は純粋に楽しめていたことも、歳をとると体力や気力が落ち、ただただ疲れてしまう。同世代や少し上の世代に、健康マウントやポジティブマウントを取られると、遺伝的に虚弱な私は居場所がなくなって余計に心が折れてしまいます。
元気な同世代のポジティブ発言は精神的にキツい
元々健康な老人や意地っ張りの老人は、病弱な同世代に対して、健康ケアや精神論についてのポジティブアドバイスを善意から行ってしまう傾向があります。自分たちが健康だから持病持ちの気持ちが分からない、自分たちも多少の無理はしているからアンタだって多少無理できるよ、そんな理由で元来病弱な同世代や病み上がりの同世代に、どうやったって無理なポジティブアドバイスをしてしまう、それが老人社会なのです。
そんな日常が続いてしまうと、うつ病になって自死にも至ってしまうんだろうなと、自分の実感覚からそう思えてしまいます。
まとめ
暗い内容になってしまいましたが、中高年の心の闇と現実はこういうものなのだと、ご理解いただければ幸いです。
★応援クリックしていただけるとうれしいです★
↓ ↓ ↓
【PR】