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50代、精神疾患持ちのシニア主婦ブログ。

【私の思い出】幼稚園児がした母への裏切り

 

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 この話に関連して、もうひとつ忘れられない思い出を書いておきたい。

父のストーキングから逃げる母

 前回の記事に書いたように私の母は、女性嫌悪でDV夫の父から逃げるために家出をしたが、父はストーカーとなり逃げた母を探し回っていた。

 母は親族の家に身を隠しても見つかるであろうことから、祖母が母にあてがった職場に近い、見知らぬ土地で私と共に暮らしていた。母は父に見つかり連れ戻されること、暴言や暴力を振るわれることを非常に恐れていて、道を歩いていても父が現れるのではないかとビクビクしているほどだった。特に大通りではキョロキョロしながら、父がいないか確認するほど怖がっていた。

 それに、当時は携帯電話など存在せず固定電話しかない時代で、電話を設置すると自動的に電話帳に名前が載ってしまう時代だった。母は電話番号から父に追跡されることを恐れて、自宅に電話も設置しなかった。

 さらには、住民票を移すと、それを手がかりに父親に捜索されてしまうので住民票も移さず、その土地に移り住んでいた。それほどまでに警戒するということは、それほどまでに恐怖とトラウマを感じていたということだ。

幼稚園児の私、父に見つかる

 ちびっこの私はある日、幼稚園から帰っていた。昔は幼稚園に親の送り迎えは必要なかった。地域が見守ってくれるという前提があったからかもしれない。私が幼稚園から帰っていると、なんと、そこに父が現れた。

 一瞬、気が付かなかったが、私の前に立ちふさがったので気づいた。

「あ、とうちゃん…」

どうしていいか分からなかった。父の追跡に恐怖する母には「私がとうちゃんを倒すから大丈夫!」などと言っておきながら、実際に父が目の前に現れると、どうしていいか分からなかった。

 私は母が父を異常に怖がっているのを見ていたので、父が「悪い人」だと思いこんでいた。だが、私自信はまだちびっこだったので危害を加えられていなかった。だから、とても穏やかな口調で優しく、父に

「お母さんの家はどこ?」

と聞かれ、あれ?思ったほど怖い人じゃない…と思った。

母を守るためにとっさに嘘をつく幼稚園児

 だが、お母さんを守らなければいけない、お母さんは父さんを怖がっているから会わせてはいけないと幼稚園児ながらにも策を練った。一瞬でだ。そして、母の家とは違う方向を指さして、

「あっち!」

と、教えた。そして逃げようと思っていた。

 そうすると、父は

「あっちってどこ?本当はあっちじゃないでしょ?本当のことを教えて。お母さんの家はどこ?」

と言った。

 私は幼稚園児だったので、返事をしなければいけないと思い、逃げることができなかった。そして自分の嘘が一瞬で見透かされたのが怖かった。どんな嘘をついても見透かされるような気がして、怖くなって本当の母の家の方向を指して、

「あっち…」

と、白状してしまった。

 すると父は、

「じゃあ、とうちゃんを母さんのところまで連れていって。」

と頼まれ、ちびっこの私は断れなかった。

 そして、父を母のいる家に連れて行ってしまった。

消されてしまった記憶

母が

「おかえり。」と言うと、後ろにいる父を見て表情が変わった。そして私に、

「ららさん、ちょっと外に出ていなさい。」

と言った。

 私は、外に出て、とてつもなく後悔した。記憶はそこまでしかない。もしかしたら、その後、父が母を怒鳴る声が聞こえたかもしれないし、母の悲鳴が聞こえたかもしれないが、それは覚えていない。自分の責任を感じすぎて、記憶から抹殺してしまったのかもしれない。

 私が父に母と暮らす家を教えたがために、きっと母は父にひどいことをされたのだろう。だから、その時に母は私を取り返す気力すら失ったのではなかろうかと勝手に推測していた時期もあった。

 この時に、一旦父に連れられて父の家に行った気もしないではないが、幼すぎて記憶が曖昧だ。行ったかもしれないし、行っていないかもしれない。だが、その事件がきっかけでもう母は父から逃げ回るのは不可能だという流れなったのだろう。(恐らく母方の祖母主導で)双方の親族を集めて会議をしようという話になったようだ。そして、その会議の場で、母は決定的に子供を奪い取られることになる。

大人に甘えられなかった子供

 母もそのことをとてもよく覚えていて、私が大人になってから「あの時ちよさんが父さんを連れてこなければ…」と愚痴を言われたことがあった。私も当時から相当な罪悪感を抱いていたことがらだったため、当時上手く立ち回れなかった自分を責める気持ちと、大人なのに幼稚園児だった私を責めるの?という気持ちが入り混じった複雑な気持ちになった。だが、母にとってもひどくトラウマとなった出来事なのだろうと、何も言えなかった。

 だが、私自身の心の中では「私だって、幼稚園児なりに母をかくまおうと嘘をついたのに…」と悔しい気持ちでいた。

 あの時、私は母を裏切った。その気持は一生消えない。普段はそんなことは忘れているのだが、時折思い出しては胸がぎゅーっとなってしまう。私は子供の頃に、子供には重すぎる色んなものを抱え、対応しすぎた。そのせいで人間の闇を早くから知ることはできたが、精神のアンバランスさも同時に持つ人間になってしまった。

 私は親に自分の気持ちを打ち明けたことがない。父は重度の精神疾患で人の言うことを聞けるような状態ではなかったし、母はとても愚かで弱々しい人だったので、とても自分の苦しみを打ち明けられるようなタイプではなかった。

 「私だって、あんなことやこんなことで苦しんでるのよ!」なんて、とてもじゃないけど言えなかった。いつも、のどのところまで出かかった言葉を飲み込んでいた。父は狂人で話は通じないし、母は私より愚かで弱いから私が黙って耐えてあげなければ…と思って幼少期を過ごした。

私が母を守らなければいけないという感覚

 母は頼れる人でもなければ、自分を守ってくれる人でもないと、小さい頃から分かっていた。だから、どんなに辛いことがあっても母に泣き言を言ったことはなかった。それどころか、母は弱い人だから私が守らなければと幼稚園の頃から感じていた。

 私は父に誘拐同然に連れ去られ、18歳で家出をするまで、父からひどい精神的、肉体的暴力を振るわれ続けることとなる。だが、私はそのことを母には打ち明けなかった。母にそのような現実を受け止める度量はないと思っていたし、母はきっと父からの暴力を相談しても助けてはくれないだろうと予想できたからだ。

 いや、もっと言えば、助けを求めたにも関わらず、助けてもらえなくて、自分が傷つくのがいやだったという感覚もあっただろう。もし、私が父の暴力を母に相談していたら、母は自分が悲劇のヒロインのように泣いておろおろするだけだろうと、小学生の私には予想がついた。母を困らせるだけで、母に解決のできない問題を打ち明けるのは、あまりにも酷だと、小学生の私は自分から身を引き、父の暴力に耐える人生を自ら選んだ。

念願の自立後の母との関係

 私は18歳でやっと暴力をふるう父の家から家出できた。高校1年生の時から入念に計画を立ていた、国立大学の夜間部に働きながら通うという計画を成就させたからだ。

 18歳以降は自立して生活していたので、もう親は関係なくなってしまっていた。少なくとも父方とは私の方から縁を切ったつもりでいたので、二度と関わる気はなかった。

 母には機会があれば会っていた。だが、母は会うたびに、父方の家で受けたひどい虐待の愚痴を私に話した。「お父さんと結婚さえしなければあんな目には遭わなかった。あなたにはちゃんとした人と結婚して、ちゃんと養ってもらって幸せになってほしい。」と愚かなことを言っていた。私はもうすでに、「結婚さえしなければ余計なトラブルに巻き込まれない」という考えの独身主義者になっていたので手遅れだった。

 私は母が父方の家で受けていたのと同等の虐待を受けていた。私は母の愚痴から母が父から虐待を受けていたことを知っていたが、私もまた父から虐待を受けていたことを母に伝えることはなかった。だから、母は私が「父から同程度の虐待を受けていた事実」を知らなかった。母を悲しませたくないという思いやりの気持ちと、それを話すと母がパニックになってとりみだすであろうことが面倒だということが理由だった。

 母と私は同じ相手から同じ虐待を受けていたにもかかわらず、母は私にその内容を愚痴ることができ、私はそれを母に愚痴ることができない。その不平等さがとても悲しかった。

 それに、母と私が父方から受けた虐待は全く同じ内容だったので、母の愚痴は私の地獄のような記憶をフラッシュバックさせた。母は私も同じ目にあっていたとはつゆほども思わず、伸び伸びと父(やその背景にある家柄)の愚痴を話し続け、私は数時間にも及ぶフラッシュバックに耐えなければならなかった。母の前では何とか平静を演じ切れても、母の家から出て母の愚痴から開放されると、私は心理的な負荷が限界を超え、母に会った帰り道にはストレスで嘔吐するようになっていた。

子供ながらに自分の美学を貫いていた

 私の思想信条として「物の多く分かるほうが、多く我慢する。」というのがある。だから全く物の分からない母の気持ちを受け止めるのは私の仕事だ、と、ただひたすら耐えた。

 あなた自身がそれだけの虐待にさらされていて、そんな夫や義母のいる家に、子供をおいて行ったら、子供も同じ目に遭うであろうことを何故想像してくれなかったのだ…という悲しみの中、私はただただ口を閉ざして彼女の愚痴を聞き続けた。

 「世の中の普通の大人なら解決できること、想像できることが、うちの母にはできない。それが私の母親だ。この人にそんな高度な想像力やコミュニケーションテクニックを求めるなんて酷だ。」いつも、そう思って、自分の心を静めようとした。

 私は、母親に不平不満を言ったことはないし、喧嘩もしたことがない。小さい頃から、私が母親の「親代わり」をしていたのだ。だから、私はただ母親の気持ちを受け止め、優しい言葉がけをする、それに徹していた。小さい頃から、私は母のことを「体だけ大きい子供」だと思っていた。だから、心理的に大人である私が我慢をするべきだと耐え忍んでいたのだ。

精神科医の見立て

 私の精神疾患はこういった幼少期の体験が比重を占めすぎていると担当医は言っている。だが、今から過去に向き合うには相当な苦しみを伴い、精神分析で過去を思い出すことによって精神のバランスを崩す可能性が高いので精神分析で根治を目指すことは、あまり、おすすめできないとも言われている。過去を掘り返して根治を目指すよりも、新しく良い思い出を上書きして過去を薄めていくほうがリスクが少ないとアドバイスを受けた。

 子供の頃に子供らしくいられなかった人は、大人になってから何かしらの精神疾患を抱えると言われている。世の中に、そのような人は本当に多い。

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