良質節約生活 100万円/1年

50代、精神疾患持ちのシニア主婦ブログ。

引越し10回の私に遠方から届く誕生日プレゼント

 

 12月は私の誕生日があります。毎年誕生日になると遠方から郵送で誕生日プレゼントを送ってくれる友人がいます。20代の頃に知り合った友人なので25年くらいの付き合いになります。

 私は、住むところなんてどこでもいいと思っていましたし、色んな土地に住んでみたいという好奇心も若い頃にはあったので、引越しは人生のうちで10回ほどしています。

 遠くでは、オーストラリアにも引っ越したことがあります。オーストラリアから日本に帰る時は、空港までオーストラリアの友達が見送りに来てくれて、みんなで号泣したのを未だに覚えています。

 それほどまでに感情移入をした仲でも、物理的に体が離れてしまえば疎遠になってしまうという体験を何度もくりかえしてきました。10回も引っ越しをしていると、人とは出会って別れて、出会って別れての繰り返しです。

 私は、夫がしつこく結婚をせまってくるまで、独身主義だったので、瀬戸内寂聴さんの自由な生き方にあこがれていました。若い頃は「40歳まで遊べるだけ遊んで、40歳で俗世と縁を切って尼になる。」などと、冗談半分、本気半分で周囲に吹聴していました。

 25年来の友人は私が瀬戸内寂聴さんのことが大好きなのを知っていて、十数年間毎年、この高価な日めくりカレンダーを誕生日に送ってきてくれます。

 実は瀬戸内寂聴さんは今年お亡くなりになったので、もう今年から日めくりカレンダーは読めないのかぁと思っていたので、小包を開けて日めくりカレンダーが入っていたのには正直驚きました。

 そして、この友人が毎年贈ってきてくれるのが、広島の有名フランス菓子店「ポワブリエール」の焼き菓子。今年はクッキー缶を送ってきてくれました。

 実はこの「ポワブリエール」のクッキー缶。缶のデザインがおしゃれだということで、「サライ」だったか「大人の週末」だったかの大人向けインテリ雑誌の特集でとりあげられたことがあるそうです。

 そして、寒波が騒がれている昨今ですので、足首ウォーマーも送ってきてくれました。

 私は、幼少期に育児放棄と虐待の環境で育ちました。また、父子家庭なのに父が重度の統合失調症だったで、毎日のように「お前は馬鹿だ、ブスだ。」と罵倒され、グーでボコボコに殴られるような生活を送っていまいた。馬乗りになられて首を締められたりもしていたので、父親に殺されてもおかしくない状況でした。

 さらに悪いことに父は、家の中で暴れるだけでなく、外で他害もする人だったので、ちょくちょく警察にもつかまっていました。父は親族一同に縁を切られていたので、父が警察に捕まった時に父を警察に迎えに行くのは中学生の私の役目でした。

 私は、今でいうところの虐待サバイバーで、ヤングケアラーだったのです。小学校の頃は「死にたい、死にたい、」「(家族を)殺〇してやる、殺〇してやる。」と、毎日のように思っていました。家族全員死ねばいいと、実家の障子に火をつけたこともありましたが、粗末な家で湿気ていたのでしょう。火は燃え広がらず途中で消えてしまいました。しなしなと消えていく火を見ていた私は、なんだかもう虐待に怒りを感じるのも馬鹿らしくなって、大きな虚無感の中にいたような気がします。

 小学生の頃は「死にたい」「父親を殺〇してやる」と思っていた私ですが、中学生になると少しは頭が回るようになり、あんなクズのために死ぬなんて自分の命がもったいない、あんなクズを殺〇して自分が刑務所に入って人生を棒に振るなんてもったいないと思うようになりました。

 「生きてやる!生きてやる!生きてやる!」そう強く思い始めたのは中高生の頃でした。高校に入ると自分の進路を明確に決めなければいけなくなり、私は大学進学を決めました。もちろん、大学に進学すると決めたことは親には秘密にしていました。なぜなら、父親は私に「中学を卒業したら、外で働いて家にお金を入れろ。」と言っていたような人だったからです。父親にとっての私はATMであり、サンドバックでしかなかったです。

 ですから、私は働きながら行ける大学を全国で探し、広島大学の夜間部に入ることに決め、無事合格し、家出しました。正確には「独立」をしたのです。ですが、「父子家庭で父親が異常者」という家庭で育ったため、私は著しく一般常識に欠けた人間に成長していました。

 広島大学と言えば中四国地方ではかなり優秀な学生の入ってくる大学です。私は広島大学の学生達の品の良さに面食らってしまいました。そして、強い劣等感を持つようになりました。

 私は、大学でも、職場でも自分の生い立ちを正直に話すようにしていました。同情を誘いたかったわけではなく、自分の常識が著しく欠けているのは生い立ちのためなので、いたらないことがあったら遠慮なく指摘してほしいという意味合いで話していたのです。

 そして、優しい人ほど、私に色々な注意や助言をしてくれました。他人事として、何も言わずに距離をとる人もいたと思います。ですが、学校の先生、職場の上司、大学の学友など、夜を徹して話を聞いてくれた人達もたくさんいました。そして、私の至らない部分を私が傷つかないようにやんわり注意してくれる人もたくさんいました。そのような人達と私は、人間の格が違うと当時は思っていました。

 上記のプレゼントを毎年送ってくれる友達も、私が精神疾患で一番病んでいた頃に、かいがいしく面倒を看てくれた友達です。私が大量服薬で救急搬送されると深夜でも病院に迎えに来てくれたり、私が自宅で嘔吐して助けを呼ぶと、私の吐しゃ物をきれいに掃除しておいてくれるような親切な人です。

 私が友人達に「私は人に迷惑ばかりかけるダメな人間なんだ。」と嘆いた時に、友人達は口をそろえて言いました。「千代さんは人に迷惑をかけるものなんだよ。みんな、そんなこと分かってて関わってる。」と。「迷惑だなんて思ってないよ。」なんて、きれいごとを言う人は一人もいませんでした。

 「私の他の友達はみんなちゃんとしていて、普通に生活できている。正直、私の周りで千代さんほど人に迷惑をかける人を見たことがない。だけど、人間ていうのは結局、損得勘定で生きているから、千代さんから得るものが何もなかったら、関わらないと思う。私は千代さんほど人に迷惑をかける能力の高い人を見たことがないけど、千代さんほどその迷惑を帳消しにできる能力の高い人も見たことがない。

と、このクッキー缶を送ってくれた友達から言われました。

 50歳の今になって思うのは、人に迷惑をかけずに生きている人なんていないということ。ただ、ほとんどの人は、「迷惑のかけ合い」を家族間の間で完結させていて、友人知人にまで、迷惑の範囲が及んでいないだけなのだと思います。

 悪く言えば「迷惑」、良く言えば「助け合い」を、一般的には家族内の範囲にとどめているから、他人に迷惑をかけてないように見えているのだと思います。私は、夫に知り合うまで家族というものがいなかったので、迷惑が友人知人にまで及んだのだと思います。

 10年以上、遠方から誕生日プレゼントを送ってきてくれる友人。私は一方的にお世話になっていたとしか思えないのですが、彼女は私から何かを得ていたと言ってくれています。彼女はいったい私から何を得ていたのでしょうか?

 私の親はいわゆる毒親だったので、私は一切の血族と縁を切り、孤軍奮闘ひとりで生きてきました。ですが、ひとりで生きようとしている人を助けないほど人は不親切ではありません。

 私の周囲では、毒親だと分かっていながら離れようとせず、しがみついて、「私の親は毒親だ。」と嘆いている人達もたくさんいます。中年になっても「親が」「親が」と自分の人生がうまくいかないことを親のせいにしています。ですが、たとえそれが親であれ、親族であれ、自分自身の尊厳を大切にしてくれない人、自分自身を敬愛してくれない人にしがみつくのは、自分自身で不幸を選んでいるようなものだと思います。

 そのような人達にいくら独立を促しても、「共依存」や「母子密着」の関係が強く、結局、ずっと親の悪口をいいながら親にしがみついています。そのような人達には特徴があり、思い込みが激しく、我が強く、自分が正しいと思っていて、他罰的で、素直ではありません。ですから、独立を促しても、「親が悪い」「私はそうは思わない」と、人の言うことを素直に聞こうとしません。そのような「共依存関係」をたくさん見てきました。

 そのような人達に出会うたびに、私は10代で独立の道を選んだからこそ、他人と助け合い、支え合える人間関係を作ることができたのだと感慨深い気持ちになるのです。

★応援クリックしていただけるとうれしいです★

 ↓ ↓ ↓

にほんブログ村 その他生活ブログ やりくり生活・やりくり術へ にほんブログ村 その他生活ブログ 節約・節約術へ にほんブログ村 その他生活ブログ 家計管理・貯蓄(50代)へ

【PR】