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川崎市立「日本民家園」その2*企画展「東北の手仕事 1 わら」

     

    企画展「東北の手仕事 1 わら」

     川崎市立「日本民家園」の本館には、常設展スペースと企画展スペースがあります。私達夫婦が「日本民家園」を訪れた際には、企画展「東北の手仕事 1 わら」が開催されていました。「東北の手仕事 2」は「布」を取り扱った企画展だったようですが、開催期間の関係上、私達夫婦は「わら」の展示のみ鑑賞ということになりました。

    企画展「東北の手仕事 1 わら」の背景

     日本民家園「東北の村」には2棟の古民家が移築されています。

     旧菅原家住宅(神奈川県指定重要文化財)は出羽三山のふもと、山形県鶴岡市松沢(旧東田川郡朝日村)から移築されました。10数軒が身を寄せ合うように暮らしてきたこの集落は、毎年4mほども雪の積もる豪雪地域にあり、菅原家は稲作のほか養蚕、炭焼きなどを営んでいました。

     一方、旧工藤家住宅(国指定重要文化財)は岩手県紫波(しわ)郡紫波町船久保(ふなくぼ)から移築されました。雪こそ少ないものの、米の不作による飢饉も経験してきた寒さの厳しい土地であり、工藤家は葉煙草の栽培を中心とする畑作と養蚕で暮らしを立ててきました。

     このように、住む者に過酷な暮らしを強いた東北の長い冬は、同時に手間と熟練を要する美しし手仕事を生み出しました。特に素材の保温性を活かした寒冷地ならではの多彩なわら製品と、生地によっては繊維の採取からはじめ、自ら仕立てる布製品には、日々の生活が育んだ素朴な造形美を見ることができます。

     川崎市立「日本民家園」ではこうした東北の風土が生んだ手仕事を「わら」と「布」の2部に分けて展示予定です。これらの無名の人々の仕事を通して、荒々しい自然の中で営まれた暮らしに思いを馳せてほしいというのが、川崎市立「日本民家園」の思いです。

     企画展示室では、年2本の企画展示を開催しており、「東北の手仕事 1 わら」は、2023年1月4日(水)~5月28日(日)までです。「東北の手仕事 2 布」の開催日程はまだ告知されていないので不明です。

    「わら」とは

     「東北の手仕事 1 わら」では、わらの手仕事を紹介、展示しています。

     「わら」とはイネ科の植物の主にくきの部分を乾燥させたものを言います。したがって、この言葉には様々な植物が含まれますが、米を主食としてきた日本人にとって、稲わらが最も身近だったことは言うまでもありません。

     わらは入手しやすかったことに加え、通気性・保温性・緩衝性などに優れた性質を備えていることから、民家の暮らしの中で様々な役割を果たしてきました。土壁にはわらが練り込んであり、繊維を加えることで崩れにくくなりました。

     厩(うまや)ではエサとして使われたほか、地面に敷き込んであるのを見ることができます。この敷わらは肥料として使われました。寝間では「わら布団」を見ることができました。中身は時々入れ替えましたが、非常に温かいものだったそうです。このようにわらには多くの使い道がありましたが、中でも重要だったのは、わら細工の材料としての用途です。わらは柔らかく、加工もしやすいことから、老若男女誰でもわら細工に携わることができました。その結果、履物から雨具まで、当時の人達の日常を支える多くの生活用具がこの米の副産物である「わら」から生まれることとなったのです。

     しかも、使えなくなれば肥料として土に帰すこともできました。現代の言葉で言えば、資源の循環を促す環境にやさしい素材、それが「わら」だったのです。

    雨風をよける機能

     保温性に優れ、さらには通気性も備えた「わら」は、雨や雪、そして寒さを避ける素材として様々な用途に用いられてきました。例えば、雨具として利用されたものに「ミノ」や「ミノボウシ」があります。素材そのものが軽いため、作業時にレインコートや雨合羽(あまがっぱ)のように利用されました。雪や寒さから足を守るため、冬の履物類としても利用されました。ひざ下まで覆う「フカグツ」や「ユキグツ」。山での労働や遠出用に使われた「マガケグツ」や「ハバキ」。大雪の中を歩いたり、雪道を踏み固めたりする際、「カンジキ」とともに使われたのも「フカグツ」でした。人々はわらの特性を熟知し、自分達の身体を厳しい環境から守るために、この身近な素材を最大限に活用したのです。

    荷物を運ぶ機能

     軽量で緩衝性の高いわらは運搬用具にも多用されました。

     例えば背負いカゴやショイコ(背負子)には、背負い縄の肩当て部分にわらが使われていました。厚く編むことで耐久性を持たせるとともに、わらが持つ緩衝性、すなわち弾力があって柔らかいクッションとしての性質を活かして、背負子の硬さから体を守ったのです。軽量であることは、物を運ぶ時に有利であるだけでなく、運ばない時にも有利でした。荷が空の時に運び手の負担にならないからです。

     こちらは「バンドリ」と呼ばれる「背中当て」です。農作業、山仕事、漁村の運搬具として荷を背負う際に背中を保護するものです。この「バンドリ」を付けて、背負子(しょいこ)を背負うことで背中を傷めずにすみました。

     形態や編み方によって「コロバンドリ」「シトバンドリ」「ネコバンドリ」などの名前があり、特に「祝いバンドリ(肩当てが付いたコロバンドリ)」は婚礼用に使われ、特別に優美とされていました。明治末期の「ヤセウマ(ショイコ)」の普及に伴い、次第に使われなくなりました。

     同様に、素材がしなやかなため、ある程度たたむことができるたのも、わらが運搬用具に用いられた理由の一つです。使わない時にはたたんで保管でき、使う時には大きく広げて物を包みこむことができるのです。タワラやカマスが代表例ですが、様々な物の運搬に使用されたテンゴ(手籠)も、こうした特性を活かしたものです。

    儀式で祈るための機能

     わらは日常生活だけでなく、行事の行われる特別な日にも使われました。例えば、岩手県の工藤家では「大黒様の年越し」という行事を毎年12月9日に行い、その際、わらで作った皿に供え物を入れました。

     また、大切に飼っていた馬が死んだ時は、裏山の小高いところに葬り、埋め跡にわらで作った馬を立てて煮豆を供えました。

     わらは特別な場所にも使われました。神棚や神社にしめ縄が掛けられているのは今でも目にする機会は少なくありません。これは神聖な場所と日常的な場所を仕切る役割を持っていました。こうしたしめ縄がかては村境に掛けられる例もありましたが、これは外からの災いを防ぐ役割を持っていました。わらには呪力があると考えられており、神聖な意味が込められていたのです。

     一番下がきゅうり、その左上がカボチャ、そのとなりがヒョウタンで、岩手県紫波町で、小正月に作物の豊作を祈って吊るされました。

     また、右上にある馬も岩手県紫波町で「ツナギウマ」と呼ばれ、旧暦6月に行われた、「ウマッコツナギ」という行事で田んぼのあぜなどに供えられました。

    まとめ

     今回の企画展では、東北でわらがいかに重要な存在で重宝されていたかいたかを知ることができました。SDGs「持続可能な世界」の構築が叫ばれる昨今、昔の人達の英知は、生態系を上手く利用した地球にやさしい生活だったのだと痛感した、企画展の見学でした。

    【日本民家園の常設展】

    setochiyo-style.com

    【日本民家園の野外博物館】

    setochiyo-style.com

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