- 衣服は10~15年は着る
- ADHDなので肩かけ紐がないと無理
- 長年尽くしてくれた物に感謝
- 古い物を捨てた時にしか、新しい物は買わない
- 大学の寮生活から始まったミニマリスト
- 結局、新しいバッグは買いませんでした
- まとめ
衣服は10~15年は着る
こちらの記事で書いた通り、私は数年に一回程度しか衣類を買いません。ですが、この度、普段使っているバッグの肩掛け紐の固定部分が破れ、紐が取れてしまいました。
これが実際にひもを固定する部分がほどけてしまった画像です。これをなおすには、業務用の「硬い生地」を縫い付けるミシンでないと無理なので、残念ながら、このバッグとはお別れすることになります。
ADHDなので肩かけ紐がないと無理
こちらの記事で書いたように、私はADHDで「落とす、なくす、忘れる」ということが非常に多いため、肩掛け紐のあるバッグを肩からかけて、体から離さない必要があります。ADHDは、手荷物を手や体から離すと、必ず不注意や多動で、落としたり、置き忘れたりするからです。私もかつて、バッグ、財布、スマホ、家の鍵、自転車など、数々のものを数えきれないくらい回数失くしてきました。ある時には、給料の10万円の入った財布を落としてしまったことすらあります。
精神科には「認知行動療法」というものがありますが、「認知療法」とは「考え方」を矯正する治療法で、「行動療法」とは「行動」や「環境」を精神疾患があっても困らないように変えていこうというものです。私は、この「行動療法」として、バッグに交通系電子マネーや家の鍵をバッグにつなげてしまうという方法をとりました。
そして、バッグはひとつしか使わず、そのバッグは肩掛けバッグで、外出する際は体から離さないと決めたのです。そうすると、鍵やバッグを飲食店やベンチなどに置き忘れたり、落としたりすることがなくなり、かなり精神的にも経済的にも楽になりました。
ですが、今回はバッグの肩掛け紐が切れてしまったため、手持ちバッグとしては使えるにも関わらず捨てなければいけなくなってしまったことを残念に思っています。
いくら、もったいなくてもADHDの私が手持ちバッグを持ったら、必ずバッグごとどこかに忘れてくるのが目に見えているからです。本当に残念です。
長年尽くしてくれた物に感謝
私達夫婦は、今まで使ってきたものを捨てる時には、ある「儀式」をします。「ありがとう」の儀式です。夫婦二人でゴミ箱の前に立って、「今までありがとうね。」と捨てる物に声掛けをしてからフタを閉めるのです。夫を、「バッグとさよならするから来てー。」と呼ぶと、夫はすぐに察し、ゴミ箱まで来てくれました。そして、バッグに「今までありがとね。」と言ってくれました。私も、「今まで、私の荷物を運んでくれてありがとね。」と言って、バッグに手を振ってゴミ箱のフタを閉めました。
もう、かれこれ3~4年は使っていたバッグだったと思います。夫は違いますが、私自身は貧困層出身なので、衣服やバッグは使えるのであれば10~15年は平気で使います。私のクローゼットには25年前のよそ行きの服も入っています。よそ行きの服は滅多に着ないので痛まず、25年たった今でも、きれいなままだから、捨てる理由がないのです。結婚式などにはこれを着ていけると思っています。
古い物を捨てた時にしか、新しい物は買わない
夫は、中流の家庭に育ったこともあり、人からの目を気にするタイプなので、衣服などはみすぼらしくなったら捨てるタイプですが、私は明らかにその衣服やバッグなどが機能性を失ったと感じた時にしか物を捨てません。
逆に、本当に必要なものしか買わないので、夫に「千代ちゃんは無欲すぎてつまらない。」「千代ちゃんって悟ってるよねー。」と言われてしまいます。夫に「クリスマスプレゼントは何がいい?」と聞かれると「いらない?」と答え、「誕生日プレゼントは何がいい?」と聞かれると「いらない。家の中に物が増えるのは嫌だから。」と答える私。ですから、例えば私が「フライパンが欲しい。」と言うと「千代ちゃんが物を欲しがるなんて滅多にないことだから、千代ちゃんが欲しい物なら俺が何でもお金を出してあげる!」と張り切ってしまいます。
大学の寮生活から始まったミニマリスト
私は国立大学の大学寮に入っており、その大学が移転目前で現存する寮を建て替える気はなく、戦後に建てられた壁に穴のあいた古い木造の寮に住まざるを得ませんでした。私は当時二人部屋に住んでおり、今の病院のように間仕切りカーテンなどもない古い作りの二人部屋でした。ベッドが二つ並んでおり、その奥にこのような1.5畳のプライベート空間があるだけの部屋に住んでいたのでした。ここになんとか教科書、調理器具、衣類、タオルなどを詰め込み、さらに学習用デスクまで置かなければなりませんでした。ですから、持てる持ち物など知れていたのです。その頃から私は物を持たない性質を身につけていきました。
男子寮に遊びにいったこともありますが、男子寮はもっとひどく、戦後の倉庫を改装した畳敷きの大広間に6人だったか8人だったかが、間仕切りもなく布団を敷いて、雑魚寝している有様でした。
結局、新しいバッグは買いませんでした
結局、ケチケチ星人のわたくしは、以前に買った大き目の肩掛けバッグをクローゼットから取り出し、ほこりをガムテープで取り除き使っています。以前に買った、この大き目の肩掛けバッグは、大きすぎるためたくさん物をいれてしまい、ADHDらしい、何がどこに入っているか分からなくなるという状態になってしまいました。ですから、わざと、あまり物の入らない(上の写真の)小さなバッグに買い替えました。
小さなバッグを買うと、あまり物が入らないので、家の鍵、交通系電子マネー、クレジットカードホルダー、財布、ティッシュ、ハンカチくらいしか持たなくなりました。化粧品も入れられないので化粧もしなくなりましたね。
まとめ
私ももう歳ですから、いつ何があってもおかしくないお年頃。明日、脳の血管が切れてこの世からさようならなんてこともありうるわけです。(離婚していた)父の家と、母の家の家財の処分に数十万円ずつ支払わなければならなかった私には、夫にあんな経済的負担をかけさせたくないと感じます。人が死んだ時、その人の持ち物は全て「ゴミ」になる。そのことを学んだ私は、できるだけ「ゴミ」を残さず、きれいに消えたいと思います。ですから、何か家に物を増やすような趣味を持ったり、買い物を趣味にしたりということは避けて生きているのです。
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