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「大切な人」という言葉の意味とブログの意義

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お気に入りのブログ

 私は女性なので、女性の生き様や考え方が書かれたブログが大好きです。その中でも頻繁に拝見させていただいているのは、ももはなさんと、naomiさんです。私も、ももはなさんも、naomiさんもタイプは違いますが、それぞれがそれぞれに置かれた環境や立場で一所懸命生きていると思っています。

大切な人というキーワード

 血縁の家族のほとんどに虐待を受けた私は、バンドのブルーパーツの「弱いものが、さらに弱いものを叩く。」の「さらに弱い者」でした。心理学者の加藤諦三は「機能不全家族では、必ず一人はいけにえが出る。」と言っていて、私はそのいけにえでした。

 殴られ、蹴られ、ののしられ、ご飯も与えられず、馬乗りになって首を絞められ、髪の毛を持って引きずりまわされ、それが私の父親や祖母がした私への仕打ちでした。

 母親は悪い人ではありませんでしたが想像力に欠けた人でした。母自身も私と同じような虐待を夫や姑から受けており、私が幼稚園時代に子供を置いて離婚しました。そして、私が精神疾患だと知らせたら嘆き、さらに訳があって父から暴力を受けたことを知らせなければならなくなり、知らせると「子供に暴力を振るうなんて思わなかった…」「なんで、こんなことに…」と私の前で大泣きをしました。母はものの5年くらいで父の暴力から逃れられましたが、私は父に10年以上暴力を振るわれ罵られていたので、「泣きたいのはこっちのほうだよ…」と思っていました。つまり、母は常に自分が「被害者」「可哀そうな自分」の立場でありたい人だったのです。

 私はそのような家庭で育ったため、「人間は家族(一番近しいと思っている人)に一番ひどいことができる。」、逆に言えば「人間は家族にしか、一番ひどいことをしない。」と学習してしまいました。

 ですが、naomiさんのブログでは「家族が大切」という言葉がいつも出てきていました。

 例えば上記の記事にあるこのような言葉です。

人は、誰かを想うから、生きていけるのだと思います。この人の役に立ちたい✨とか、この人を喜ばせたい✨と、想う気持ちが、生きる力になっていると思います。

 naomiさんは昔は「誰か」の部分を「家族」に限定していました。ですから、私は、なんだかもやもやした気分になっていまいました。「そうかな?」と。ですが、naomiさんがある時期から「家族」という言葉を、「大切な人」「大切な誰か」に置き換えるようになったことに気づきました。

 そして、「その大切な誰かとは、血がつながってなくてもいい、大切に思える誰かです。」といった趣旨のことも書かれるようになりました。それでも鈍感な私は、「私は、友達しか大切に思えないし、それもnaomiさんほどには大切に思えていないのではないか?」と、自分が冷たい人間のように感じて、劣等感を感じていました。それは、naomiさんの書き方の問題ではなく、私の内面のトラウマの問題なのでnaomiさんには何の非もありません。

義理の家族で知った家族愛

 そして、やっと最近naomiさんの言っていた「大切な人」の意味が分かってきたのです。

 最近、義理の父が余命半年と宣告を受けて、私は無意識化でとてもまいってしまっています。義理の父の余命宣告後に健康診断で胃の内視鏡検査を受けたら胃の中に赤いしましまがあって、「胃炎です。」と言われたくらい、ショックを受けていました。

 私は義理の父の余命宣告を聞いて、上辺は気丈にしていたつもりでしたが、体はストレスに素直に反応していました。義理の父とは、多くても3か月に1回くらいしか会っていませんでしたが、とにかく話が合って一緒にいて楽しく、問題が起こったら必ず相談に乗ってくれて、心から信頼し心の支えとなっていました。ですから、いざ、失うと知って、その大切さを身に染みて感じたのです。

 義理の父は、私がどんなにポンコツでも、精神疾患の調子が悪く迷惑をかけても受け止めてくれる人でした。私が夫との離婚を考えた時にも、真っ先に相談したのは義理の父でした。

 naomiさんは上記の記事でこのように書かれています。

人間は、自然の前には無力ですが、知恵や工夫(想像力)があって、それらを共有することで、乗り切ってきた(生き延びた)実績(歴史)があります。もし、一人で立てなくても、周りの人の力を借りて、立ち上がれると信じます

 私自身も、友人達だけでなく、義理の父や夫という「家族」に支えられていたと、今、猛烈に痛感しているのです。

血縁だけが家族ではない

 私は「家族」という言葉が嫌いでしたが、瀬戸家に嫁いできて、義理の父に「息子の嫁ということは、自分の娘だと思っている。」言ってもらえました。義理の母には、先祖のお墓の前で「瀬戸家へようこそ!」と、両手を広げて歓迎してもらいました。

 私はそのことが忘れられませんし、そのことを思い出しただけで嬉しくて涙が出そうになります。なぜなら、naomiさんのいうとおり、一人で立てない私を、義理の父母や夫がずっと助けてくれていたことに、私はあまり気づいていなかったからです。

 身近すぎて、どれほど、彼らが私の精神的支えになっているか気づかないほどに私はおろかでした。そして、義理の父の余命宣告で、どれほど私は義理の父を慕っていたかを思い知ったのです。

夫からの愛

 夫は若い頃は問題の多い人でしたが、年齢を重ねると共に大人になっていきました。そして、今では私を支えてくれています。以前の夫は「ちよちゃんは俺の精神的支柱」と言ってくれていて、私は夫に対してそうは思っていませんでした。

 ですが、今は夫が私の精神的支柱になってくれています。夫は「ちよちゃんの存在そのものが尊い。」と頻繁に私に向かって、口に出して言ってくれます。自己肯定感の低い私にとっては、「ちよちゃんは俺の精神的支柱」と言われたり、「存在そのものが尊い」と言われると、自己肯定感が爆上がりします。

 また、夫はカフェの店員さんなどと雑談する時も、「僕は妻をリスペクトしていますから。」と口に出して言ってくれます。それも、私の自信を高めてくれます。

 私は血のつながった家族からはひどい仕打ちを受けましたが、嫁いだ先の家族に、初めて「家族愛」というものを教わりました。家族愛というのは、「どんなあなたでも、大切だよ。」というメッセージを送り続けることだと、瀬戸家の家族が教えてくれました。

 自分がポンコツだと思って自信がなかった上に、精神疾患で問題を起こす私を瀬戸家の家族はあきれもせず助けてくれました。これが、naomiさんが指している「家族」なんだと初めて知ったのです。

訴え続けることの大切さ

 私の大好きなももはなさんもnaomiさんも、一貫して自分の信じる主張を訴え続けてきています。私のような鈍感な人間が、その意味を理解するには時間がかかったりしますから、訴え続けることに意味があると最近は思えます。

 私が、自分の思いをブログに書くと、暗い過去から暗い内容になりがちなので、自分の思いは書かないようにしていますし、書いたとしても下げてしまうこともしばしばあります。

 ですが、ももはなさんやnaomiさんの「世の中を良くしたい」、「人々が愛に包まれていますように」という祈りにも近い願いの記事は人の心を打つと思っています。

まとめ

 naomiさんは、シングルマザーで3人もの子供を育て、ご高齢の親の面倒も見ていらっしゃる立派な方です。3人もの子育てをし、親のケアまでするなんて、並大抵の苦労ではないと私は思います。それでもnaomiさんは泣き言一つ言わず、ブログで人々を励まそうとしていらっしゃいます。私は、泣き言とまでは言いませんが、自分の精神疾患の状態を発信して、「それでも生きていていいんだよ。」というメッセージを発しているつもりです。

 ブログにはそれぞれの役割があると思いますし、人様のブログを見れば見るほど、自分の視野の狭さを痛感して、反省して考えをあらためています。

 上記のお二人以外にも、拝読させていただいているブログはたくさんあります。それぞれが、それぞれに、大変な思いをしながらも生きている生き様をのぞき見させていただけることは、本当に人生の喜びです。

 人様の生活を垣間見れる、生活ブログ、多様な意見を知ることができる意見ブログや気持ちブログ、日々作った料理や、見た景色などを写真でUPして楽しんでいらっしゃるブログ、どのブログも本当に楽しみにしています。そうった意味で、広義では私にとってブロガーさんたちも「大切な人」なのかもしれません。

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