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ダウンタウンが面白くないと感じる理由

ダウンタウンはお笑いの中のほんの一部

最初に申し上げておきますが、私は1970年生まれでダウンタウンがオーディションを受けていた頃からダウンタウンを見ていました。

ダウンタウンのファンでもなく、アンチでもなく、お笑い芸人中の一組としてしか見ていません。私のようにどの芸能人にも深く感情移入しない視聴者もいるということです。というわけで、単なるテレビ視聴者の感想に過ぎないので、過剰に反応しないでいただきたいと思います。

ダウンタウン初期

私がダウンタウンを知ったのは、笑いオーディションに出ている頃のことでした。そこまでの漫才は、ボケ役、ツッコミ役がいて、非常識なことを言う「ボケ」役の人に対して、常識人である「ツッコミ」役が「なんでやねん!」とツッコミを入れるのがお決まりのパターンでした。

ですが、ダウンタウンはその枠を破って、奇想天外なお笑いを提供してくれました。具体的にどんな内容の漫才だったか忘れてしまいましたが、腹筋が痛くなるくらい笑ったのを覚えています。

ダウンタウンが出てきた頃のダウンタウンの漫才は、天才的で、ある意味アートでした。アートとは「常識を覆す」「枠を超えている」ということです。それは、逆に漫才師の大御所たちから、「そんな常識やぶりな漫才は漫才じゃない!」「そもそも、漫才の形式をなしてない」と、激しい批判を浴びることとなりました。

オーディション番組で、ダウンタウンが漫才の大御所に激しく批判されていたのも覚えています。

当時のダウンタウンの漫才は、新しすぎました。歌舞伎役者が歌舞伎の「型」を守ろうとするように、古い漫才師たちは「漫才の型」を大切に思っていたようです。そんな中、それこそ「型破りな芸」を「漫才」として提出してきたダウンタウンは、大御所から見たら、異端であり、脅威であったかもしれません。

ダウンタウン後期

その後、私は仕事が忙しく、テレビを見る時間が全くなくなってしまいました。ですから、ダウンタウンも長らく見ていませんでした。

そして、久しぶりにテレビを見る機会があり、テレビをつけるとダウンタウンの番組をやっていました。その番組は、ダウンタウンとその後輩たちが、女装をして、非常に下手なミュージカルをやるという番組でした。

ジミー大西さんが女装をしており、そのほかの演者さんも意図的にか本当にかは分かりませんが、音程のはずれた歌を歌って、周りが笑うというものでした。松本さんや、スタッフの笑い声が聞こえてきましたが、私は全く面白いと思いませんでした。
私は感じました。「ああ、ダウンタウンも『いじり芸』に芸風を変えたのだ。」と。

いじり芸の本質

いじり芸は、言い方をマイルドにしているだけで、「いじめ芸」だと私は思っています。漫才自体が、そもそも「常識」という名の固定観念の上に立脚しており、常識外のことをいうボケに対して、常識人であるツッコミが「おい!そうじゃないだろ!」と、軌道修正してすっきりし、笑うという構造にあると思います。

いじり芸は、これをもっと過激にしたものです。容姿端麗とは言えないジミー大西さんに、容姿の美しさを強く求められる「女性」の立ち位置を演じさせる。本来は女性でないのに女性を演じている違和感、女性なのに美しくない違和感、歌が下手な違和感などを、「常識」という固定観念を盾にして、上から目線で笑うという芸を成立させているのです。

美しくないことを笑う、男性が女性の格好をしていることを笑う、歌が下手なことを笑う、こういったことは実社会ではやりたくてもできません。ですから、普段、こういったことを笑いたいと思っている方々には面白いコントなのかもしれません。

ですが、私は自分のことを美しいと思っていないので、美しくない人を笑えませんし、男装に近いファッションをすることもあるので、女装を笑えません。歌も上手くないですし、下手なことはたくさんあるので、誰かが何かを下手であっても、それを笑いの対象にはできません。

つまり、私は現実社会で、いじられる側の要素しか持っていないのです。そして、実際に「いじられる」ことは、強い言い方をすれば「侮辱される」ことに相当します。私自身が様々なことが不出来で、「いじり」を受けてきた、つまり「侮辱」されてきた過去があるため、不快なのです。

いじり芸を笑う人は、自分をいじる側であると無意識に設定して笑っているのでしょう。自分がいじられる側だと感じて見ていたら、つらくて見ていられないでしょうから。つまり、無意識化で自分自身の立場を上に置いて、下の人たちを見下す優越感でしか笑えない芸が「いじり芸」だと、私は感じるのです。

ダウンタウンが漫才をやめた理由

私は、ダウンタウンに初期のアーティスティックな笑いを考え続けてほしかったです。ですが島田紳助さんが現役の頃、ダウンタウンが漫才をやめた理由についてテレビ番組で話していたことがありました。

昭和の時代は、「お笑い=漫才」という側面がありました。ですから、お笑いをやるには漫才番組で「漫才」をやるしか、「お笑い」を演じる環境がなかったと思います。コントも流行り始めてはいましたが、古参の漫才師たちの力も大きかったのか、やはり「漫才」が幅を利かせていた印象があります。

お笑いをやりたければ、漫才オーディション番組に出るしかない状況で、ダウンタウンは、それまでにない天才的なネタで「型破り」な芸を披露してしまいました。

そして、大御所たちに激しい批判を受けました。私も漫才オーディション番組でダウンタウンが審査員に、批判されている姿をテレビで見たことがあります。漫才の大御所に批判を受け続けた結果、ダウンタウンは「漫才はもう二度とやらない。」と決めたと、島田紳助さんが証言していました。

ダウンタウンに賛否両論ある理由

ダウンタウンが、いじり芸を始めた頃は、ダウンタウンはすでに人気芸人ではありましたが「若手」でもありました。ですから、他の芸人さん達と「いじり芸」をやっていても、「対等」に見えていました。

ですが、ダウンタウンのお二人も年を重ね、芸歴を重ね、ご本人たちにその自覚がなくても「大御所」の域に入ってしまいました。ですから、「大御所」であるダウンタウンが、例え仲良しの芸人さん達であっても、いじってしまうと「力のあるものが、力のないものをイジメている構図」にしか見えなくなってしまうのです。

ダウンタウンの歴史を知っているか否か

最近の若い方々はダウンタウンの初期の不遇を、ご存じないので、彼らが苦労人であるからこそ、いじり芸が許されてきた歴史もご存じないでしょう。私達中高年は、ダウンタウンが大御所に猛烈に批判されて、不遇だった頃から知っているので、いじり芸をしても、ずいぶん割引が入って、そこまで不快になりません。

ですが、初期のダウンタウンの苦労を知らず、大御所になってからのダウンタウンしかしらない若い層の中には、ただの「イジメをやっている、偉そうなおじさんたち」に見えている可能性もあります。

その見え方は、中高年の私からしても、一部を切り取れば「事実」です。ですが、ダウンタウンのお二人が「これはイジリ芸だ」と言いたくなる気持ちも分かります。

会社でもそうです。入社したての新人が偉い上司に強く当っても、「気概があるねー」となりますが、その新人が頑張って偉い上司になった後に、周囲に強く当ったらどうでしょう。ただのパワハラ中高年ですよね。

人のふり見て我がふり直せ

ダウンタウンのお二人は、新しい時代の感覚に合わせるということが苦手なように思います。明石家さんまさんの挙動などを見ていると、どんどん新しい感覚をとりいれて、その時代時代のムードにトーク内容を合わせていっているように感じます。

「自分が正しい」ではなく、その時代、環境などに合わせて、人は行動や言葉を変えなければなりません。それが、自分のためにも、相手のためにもなるからです。

私も、自分自身の古い固定観念が、現代を生きる上で足かせになる時があります。そんな時は、一回一回、「本当に、この感覚にしがみついていたいの?」自分に問い直します。

私は、ダウンタウンのお二人と世代が近いので、お二人が古典芸能としての「イジリ芸」を守っていきたいのか、新しい時代の新しい笑いを創造していきたいのか見守りたいと思います。

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