前回の記事は
で、どうぞ。
「許してくれる」人もいるんですねぇ。ええ。
「心配してくれる」とかね。 私が怒っているのにですよ。
心配してくれるんです。「大丈夫?」ってね。
■寛容にになりたくてもなれない自分
や~、私はこういう人になりたいと思ってるですよ。ず~~っとね。
だけど、なれないんですよ。脳のつくりが幼稚なんでしょうね。
まあ、ただ「怒ってるのに許される。」とか、
「怒ってるのに心配される。」とか、
そういう体験は多いほうがいいですね。
私の場合は「怒り」を現実社会で発散できてたから、
ネット社会で「怒り」をぶつけ合わなくてもすんだのかもしれません。
友達と感情的なけんかもしますし、
同僚や上司と強い語気で意見をたたかわせたりもね。
ありますよ、リアルでね。
■怒りっぱなしはしんどいよ…
ただね、ケンカってね、
感情のぶつけ合いだけで終わっちゃダメだと思うんですね。
まずは、お互いに「なんで怒っているのか」を聞き取り調査して
「怒っている問題」の着地点が見つかるまで
ケンカを(討論・議論)をする。
そして、落としどころが見つかったら、
「無知ですみませんでした。」とか
「お時間とらせてすみませんでした。」
「いやいや、こちらも伝え方が悪かった。」
「口調が強くなってごめん。」 と、
あやまるところまで、やらないといけないと思うんですよね。
ネット社会には、
そういう「ケンカを最後までやりきる」というところまでの
ケンカができない環境も、あると思うんです。
「揉め事が起こっているときに、その場を離れられない。」という
そういった環境にならないから、
問題を最後まで解決する機会を失いやすいと思うんですね。
(遮断・ログアウト・引退ができるから)
意見のすりあわせをする機会が失われちゃってる場合も
多いと思うんです。「はてな」というサービスの
「匿名ダイアリー」という場での書き込みに限っては、
発達障害などの症状をお持ちの方や、
偏った考え方をお持ちの方など、様々な方たちが
沢山のブックマークコメントをもらって、
それを、書いた側、読んだ側が少しずつ成長している姿が
見て取れる場合もあるので、ネット社会の全ての場面において、
すり合わせができないというふうな印象はありませんが。。
聞いて!!気づいちゃった!!! みたいな感じで、つづく