これ、おっさんな気分のとき&(たぶん)増田?とガチケンカのときに
書いたヤツです。あん時は増田とケンカするために1日20記事?とか書いてた。
やっぱ、あたしイカれてるー。
2015年の4月くらいに書いたんだとおもう。
柴田トヨさんの「くじけないで」について。
君たち、いいことを教えてあげよう。
アラサー、アラフォーということばで差し替えるなら あら90で、詩集をヒットさせて、
有名になった人が、最近、いたのだよ。
もう、お亡くなりになりましたが。
有名になったけど、それで飯が食えたわけじゃない。
一時的に少しばかりの金が入っただけ。
彼女の本業は詩人だが、副業は独居老人で 週7日ヘルパーさんが来ないと、
自分で色んなことができないくらいに 孤独だった独居老人なのだよ。
柴田トヨは98歳で自費出版して有名になった
倅(せがれ)と呼ばれた息子が、
自分の詩の文章を練るのを
ときどき手伝いにきてくれたらしいが、基本的には独居老人。
彼女の出版は自費出版から始めて、
彼女は詩の売れ行きは、10万部を突破した。
そっから、地道に売り上げを伸ばして、しばらく前に100万部を突破した。
それからさらに数十万部は売れただろうが、
それはご本人がお亡くなりになったときに、
皆さんが慰霊のために 買ったのではないかと私は推察しています。
詩は絶対に売れないと言われていた、この時代に、
10万部を売ってしまったことに、最初は、みなが驚いたらしい。
柴田トヨさんには自殺願望を口にする癖があったらしい
そして、トヨさんは本では強気だが、
詩を書き始めるまでは いつもいつも、死にたい、死にたいと、
せがれに弱音を言っていたらしい。
アラナイの快進撃のウラにはキョーレツな孤独感があったのだ。
せがれも、賢い方で、
(前向きなことは書いてはあるが、実際は)「死にたい、死にたい。」と
嘆いていた時代があっての、あの詩なのだよと、伝えたかったんだと思う。
どっかのテレビの取材で、ゲロってしまった。
なぜ死にたかったのかと、聞かれたななら、
私の推測からすると
「自分の体が思うように動かない状態」
「介護される状態」
「倅と一緒に暮らせない状態」
「経済的な不安」
「倅夫婦に迷惑をかけているという罪悪感」
そりゃー、色々あったと思います。
早く死なせてくれと、思うでしょう。普通は。
だけど彼女は耐えた。耐えて、耐えて、自費出版までして…
売れたから、まだいい。
人生なんて恥ずかしくて失敗だらけで当たり前
私なんか、趣味感覚で、軽い気持ちで自費出版したから ほぼほぼ売れなかった。
在庫があまって捨てられちゃったくらいに。
そして廃盤になった。
若いころの自分を振り返る時、私は
失敗したことと、 恥ずかしいことしか覚えていない。
私の人生は、それくらいに無様な人生なのだ。
それでも言おう。
若者たちよ失敗せよ!恥をかけと!
若いうちに汗と涙をしっかり流しておけ!と。
そして、悔しくて悔しくてたまらなくて学べ!
「教えてくださいっっ!」と土下座するくらいの気持ちで、乞え!
それでも教えてくれないなら、見て盗め!
脳が腐るほど本を読み、映画を見ろ!
語り合え!夜通し語り合え!年齢性別を超えて、話せ!
その失敗や恥は、
悔しくてたまらなくて身に着けた知識と行動力と判断力は、
体験となり経験となり
君たちの、骨となり、肉付きとなるだろう。
遺言として書いている以上、私のこととして書く。
誰を責めているわけでもない。ただ、私のことを、私の心情を書くだけ。
もう一度言おう。誰を責めているわけでもない、
自分の心情と、自分のことと、自分の意見を書いているだけ。
こんな生き方だけはやめたほうがいいよ?的なブログを
書こうと思ったら違う方向に振れてしまった阿呆なワタクシ。
でも感情の動きも含めて、これからも書いてゆく。
誰かに怒っているわけでもなく、誰かを責めるつもりもない。
ただ、私の心情として書いてる。
詩人と農業従事者を半分半分で掛け持ちしている方の
一篇の詩に 私は心を打たれたことがある。おそらく出版されていない詩だ。
その、農業詩人の詩は「あの詩いいよねー。」と、
私の周囲で噂になった。 「詩」とは、
それほどローカルで人の目にも触れず、
ひっそりと あるものなのかもしれないと、私はそのとき思った。