ネットを捨てて町へ出よう!的な…
昔、寺山修司という人が「書を捨てよ、町に出よう」
という本を書きました。
インターネットがない時代は「本」を読み過ぎて、
おかしな状態になる人がいたのかもしれません。
私自身も、本の読み過ぎで「頭でっかち」になっていた気がします。
若いころはね。
自分が考えていること、つまりは「知識」の量と
現実社会での「経験」の量のバランスが
アンバランスになってくると、心も体も調子が悪くなってくるので
早目に対処をしたほうがいいかもしれません。
私自身は、社会経験や団体行動の経験がなかった上に、
知識を真面目に身につけようと思ったのは、
大学生になってからだったかな?ちょっと危機感が足りなかったなぁと
今となっては、思うんです。
高校生くらいまでに、
「真面目に飯を食う手段を身につけないと死ぬよ?」って、
教えてくれた人が誰もいなかったんですよね。
私はアホだったから、誰かにそういうことを言われても
理解できなかったかもしれないけど。
インターネットやゲーム中毒になったことのある人なら
「インターネット中毒・ゲーム中毒になっている子供(とその親)のためのお話会」
をするとか?
児童養護施設、児童相談所、少年院などに
ボランティアで子供と一緒にポータブルゲームをやりながら
勉強を教えたりできないか、問い合わせてみるとか。
引きこもりさんで仕事に就くのが怖いってところまで
心理的に追いつめられている人は、ボランティアで、子どもや老人の
お世話をするために外に出るっていうのもありだと思うんです。
土日は必ず行く!って、それだけを決めて、
半年間ほど頑張ってみるなんていうのが良いかと。
というのも、ボランティアは給与をもらっていないので、
責任感の強い人が「給与に見合う分だけは働かないと!」って
あせらなくて良い環境なんですね。
そして、子供と遊べば、
嫌われたり、かんしゃく起こされたりもするけども
なんだかんだ言って、来て欲しい大好きな人になれたりするんですね。
お年寄りだと、やはり、お世話をしても
かんしゃく持ちのお年寄りに怒られたりもあるんでしょうけど
感謝してくれるお年寄りもいますから、
無償で何かをして差し上げることは、
ひきこもりさんの自己肯定感につながりやすいと思うんです。
それは、友達に対して無償の行為を行うよりも、
あかの他人に「ボランティアの人」として無償の行為を行うほうが、
けじめがついて、感謝されやすく、
肯定された感じが得られやすいのではないかという意味です。
というのも、対象が家族や友人だと、甘えが入ってきて、
無償でやってもらっている行為にもかかわらず、
「やってもらって当たり前」と軽んじられやすく、
労力を奪われるのが当たり前の状態になる危険性も
はらんでいるからです。
直接に人と関わるボランティアが無理なら、
道路脇の植木のお世話を皆でするとか、
ゴミ拾いなどのボランティアなどから
人と関わる糸口をみつけるという方法もあるかも。
何か、中毒経験を活かせることを見つけて
インターネット中毒を過去のものにできたらいいんでしょうけどね。
老人向けのパソコン教室を
ボランティアでやってみるというのもいいかも。
ボランティアでやったことが
仕事になる人もいるんですよね。才能があれば。
ただ、こちらで書いたように
【3】「金銭欲」始まりの「遺言」おさまりになってきたこのブログ - 女だから言えること | 引きこもり、精神病からの生還
早目にはじめて、10年か、20年か続けることが大切。
逆に30歳を超えている人は
逆算して、老人になっても続けられることを探した方がいいです。
ようは、リアルが忙しくて、何かに依存しすぎる時間の隙を
自分の時間の中から追い出しちゃうのが大切なのかなーと。。
時間や体力が残らない日を挟み込んだほうがいいんじゃないかと。ええ。
引きこもっているご本人だけだと、なかなか勇気が出ないでしょうから、
家族、恋人、知人、誰でもいいので、
一緒にボランティアに出かけてあげるとか、
なにかやりようがあると思うんですよね。
ゲームやら、ネットでの書き込みしかせず、本当に一般社会から
かけ離れた生活をしている引きこもりさんたちは、
周囲の人達が、ボランティアに引っ張り出してみてはいかがでしょうか?