ゴダイゴの「銀河鉄道999」でも聞きつつ、 テレビ版の「銀河鉄道999」の最終回でも見つつ、どうぞ。
私はいつもこう思うのです。 社会を支えているのは、いつでも母性だと。女は強く賢くなければならないと考えるのです。挑む勇気や、退く勇気は男女ともに必要であるのですが、女は、より強くこれを意識するべきではないかと思うのです。女はどこに母性を向けるのか? 男か?子供か?社会か? 母性とは与えることではないと思うのです。赤ん坊に乳を与える母と、思春期から壮年期の子供の母では、果たさなければならない役割が違うと思うのです。
男や子供の無謀な冒険をただ、為す術もなく見守り、ボロボロになって帰ってきた時に許す。そして再び、男が旅立とうとする時に背中を押してやる。それが、女の強さではないでしょうか? 男の方が弱い。だから、自分が男の足手まといになるとおもったら 女のほうから去ってあげるべきなのではないかとさえ思うのです。支えるのも愛だとすれば、立ち去るのも愛だと。
世の雰囲気では、漠然と、恋愛で振り回されるのは女性の方だと思われがちなように感じますが、私は、一旦、男性が一途に女性に恋愛をしてしまったら、何もかも投げすててしまうのは男性のほうではないかと思えるのです。女性の挑発にいとも簡単に乗るのも男性ではないかと…
自分の愛する男性や、愛する(男の)子供に愛する人が出来たなら、退き、 素直に祝福する。そういう女を、母を、男は絶対に忘れません。
銀河鉄道999のメーテルは 少年がいづれ自分の元を去ることを知っていて全力で少年を守ります。そして、物語の中盤でエメラルダスは 「メーテル、分かっているよね。」というような意味合いで、メーテルの肩をたたきます。
女は捨てられるとわかっていて、 それでも男との愛に挑もうとする時が一番強いのかもしれません。そして、男が何かに挑もうとするときは、ムリにでも自分から離れさせる。叩き出す。それくらいの強い意志を持った時には、こと、恋愛においては、女は無敵になれるのかもしれません。レイ・チャールズの歌でも「旅立てジャック!二度と帰ってくるな!」と女性側が歌う歌があります。そして、男性側は「お前ほど意地悪な女を見たことがない。」となげくのです。これは女の歌でもあり、母の歌でもあるように、私には聞こえるのです。
それくらいの覚悟で愛せる女になれば、たぶん捨てられても、次の男性がすぐにあらわれたりするのかもしれません。捨て身でなくてどうやって人を愛するの? 男の人生を自分の思い通りにしたいような女の 恩着せがましい愛からは、男は逃げたくなってしまう。
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銀河鉄道999を初めて聞いた時から 私は「別れも愛のひとつだと」という言葉が 頭に焼き付いて離れませんでした。私は心理的には男女(おとこおんな)なんだと思う。 鉄郎の気持ちもメーテルの気持ちも分かってしまうのだから。
私は自由がいいから 「エメラルダス的な生き方がいいのよ。 恋愛とか恰好の悪いことはいいよ…」 とか言いながら、うっかり恋に落ちちゃうタイプ。 あーん。中途半端ーσ(^_^;)
クイーン・エメラルダス的なお話はこちらでどうぞ。