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50代、精神疾患持ちのシニア主婦ブログ。

ミニシアターブームの頃の昔の映画館の様子

 

約30年前の映画館事情

 何歳の頃だったの忘れてしまったのですが、とぎれとぎれで映画館で働かせてもらっていた時期がありました。現在主流のシネコンなどは常時アルバイトを募集しているのかもしれませんが、当時の映画館スタッフのアルバイトは映画ファンに大人気の仕事で、コネがないとアルバイトできませんでした。

 当時の映画館バイトの時給はとても低かったので、お金目当ての人は少なく、本当に映画が好きな人がアルバイトに入っていました。映画館で働いていると、募集もしてないのに、「アルバイトとして雇ってもらえませんか?」と電話がかかってくるくらい、映画ファンからは人気の仕事だったのです。

 さらに、当時は映画館のほうもプライドを持っていて、「アルバイトの問い合わせで、時給を聞いてくるような人は雇わない。」と支配人が従業員に話していたりもしました。私は心の中で「いや、バイトするなら普通は時給くらい聞くだろ…」と心の中でつぶやいてました。

映画ファンに魅力のフリーパス

 そんな状態でも、映画館のバイトが映画ファンに人気だったのは以下のような理由からです。

 当時はシネコンなどは存在せず、まだまだ単館がかなりの数、存在していた時代で単館が集まって「興行組合」を結成していました。そして、細かい決まりは忘れてしまったのですが、一定の基準をクリアすれば、興行組合に入っている映画館ならどこでも無料で映画の見られるフリーパスを発行してもらえたのです。昔の映画ファンは、同じ映画を何回も映画館に見に行くのが当たり前でした。ですから、そのフリーパスを発行してもらえれば、とても節約になったわけです。

女なのにピンク映画館でも働いた

 そして、私はフリーパスほしさに「ピンク映画」の映画館でも働きました。今で言うならAVみたいなものなのかもしれませんが、日活ロマンポルノの一部作品などは映画としても、すごく完成度の高い作品もありますから、私の中では日活ロマンポルノとAVは違うくくりです。

 ついでなので、少しだけおもしろエピソードを書いておこうと思います。あの頃はまだDVDすらもない時代で、VHSのビデオデッキも持っていない学生もけっこういるような時代でした。そんな時代に、若い学生風のお兄さんが割引券2枚を持って、恥ずかしいのをこらえて頑張ってピンク映画館に見に来てくれたのです。

 ですが、それはどちらか一枚しか使えない割引券で、そのように伝えたら、なんと彼はギリギリのお金しか持っておらず2枚の割引券が使えないと入場券を買えない状態だったのです。昔の貧乏学生らしいエピソードですよね。

 ですから、支配人に「可愛そうだから、お金が足りなくても入れてあげましょうよ。」とお願して入ってもらいました。その時、その学生さんは顔を真っ赤にして恥ずかしがっていて、あらまぁ純情な男の子だこと…と、同じ大学生だった私は少し驚きました。よほど勇気を振り絞って来てくれたのね…と。

 そしてもう一人。私の中では通称「コンドームお姉さん」と呼んでいた、中年女性もちょくちょくそのピンク映画館に来てました。その中年女性なのですが、どうも館内の男性に声を掛けているらしく、時々「ちょっと、コンドーム買ってくるね。」とスタッフの私に一声掛けて外に買い物に行って、館にもどってくる女性でした。館内で何をしていたのかは知らないし、知ろうとも思わなかったのですが、スタッフ全員、彼女が真っ暗な館内でコンドームを使って何をしていたのかはだいたい想像がついていました。おそらく、有料のサービスを行なっているのだろうと。

 あとは、私が出勤ではない日に、ホームレスさんぽい身なりの方が発券窓口の前でう◯こを漏らしてしまって、お掃除が大変だったというお話もありました。これは鉄道会社で働いていた時も同じようなことがあったのですが、公共の場で大小をもらしたり、嘔吐したりする人は結構いるので後始末が大変でした。

今の映画館と昔の映画館の違い

 最近のシネコンは、「映像と音」が、機材の悪い昔の映画館とは比べ物にならないほど良くなってます。さらにシートも昔の狭くて硬いのシートが減って良いシートが増えています。

 昔の映画館は、よほど意識の高い映画館でなければ、薄暗くて薄汚いところも多かったのが実情です。そして、もぎりの人も愛想が悪かったですね。ですが、上で書いたように、映画ファンがもぎりをやってることが多かったので、無愛想でも映画が好きなんだろうなーという風体の人が多かったですね。そして、実際に話しかけてみると、やはり映画の話が止まらなくなる人ばかりでした。

 今は映画館では静かに、というのが当たり前ですが、昔は「寅さん」などに限っては、中高年の人達の娯楽の場で、手作りの弁当なんかを持ち込んでくる夫婦連れなどもたくさんいました。そして、花見気分でぺちゃくちゃおしゃべりしながら見るのが当たり前な雰囲気がありました。

 インドの映画館などでは、歌って踊る映画に合わせて観客が踊っているなんていうのは当たり前ですが、日本でもそういうことが起こっていた時期もありました。

 週末のロッキー・ホラー・ショーは、ノリのいい人が集まり、イベント用のキャストを映画館側が用意してたりしていて、紙吹雪がとんだりライスシャワーが飛んだり、皆で席を立って踊ったりでバカ騒ぎでした。

 日本の映画館でも、この画像のようなバカ騒ぎが繰り広げられていました。

 日本の映画館でも、ロッキーホラーショーの最終日には、こんな感じでロビーは仮装のお客で溢れていました。みなロッキーホラーショーの楽しみ方の分かっている人達なので、踊る場面になったら立ち上がって楽しそうに踊っていました。日本の映画館でも、こんな馬鹿騒ぎをやっていたなんて、現代の映画ファンでは想像がつかないかもしれませんね。

 ただ、ロッキー・ホラー・ショーの残念なところは、みんなが紙吹雪などをまき散らして大騒ぎをするので、散らかって閉館後の掃除が大変だと映画館が上映したがらないということでした。

 私が日本で見た最後のロッキー・ホラー・ショーは、私自身が映画館に「10人くらいの掃除部隊を連れてきますので、お願いですから上映してください。」とかけあって、上映が実現しました。私だけでなく、そのような要望が、複数人から何年にも渡ってあがっていたことから、上演が実現されたようです。

 ですから、ロッキーホラーショーに仮装して行って、紙吹雪をまき散らして踊って楽しんだ後は、居残りをして掃除を手伝っていました(笑)

 ついでに言うと、オーストラリアのシドニーの映画館でもロッキー・ホラー・ショーを見ました。当然、上の画像のような盛り上がり方でした。しかもレイトショーに1人で行きましたが、何も怖いことは起こりませんでしたね。

 シドニーでも治安のいい地域でしたし、みんな馬鹿騒ぎをするのに夢中で、犯罪を起こす暇なんてなかったのかも(笑)ロッキー・ホラー・ショーで馬鹿騒ぎをさせてくれる奇特な映画館って、日本にもまだあるのかしら?

昔の映画館はみんなが集うサロンだった

 当時のミニシアターは映画好きの集まるサロンのような場所でした。映画ファンは映画サークルなどに入っていることが多く、横のつながりがあるので、映画館で何人もの知り合いに出逢うというのもよくあることでした。

 学生もいましたし、社会人もいました。映画館で偶然会って、そのあとお茶をして、映画談議に花を咲かせるなんていうことはしばしばでした。また、大学の映画サークルなどを中心に社会人映画ファンなども交えて、飲み会などもしばしば行われ、本当に楽しい日々でした。

 当時の私にとって映画館は、心の癒しでしたし、行けば必ず知った人のいる社交場のような存在でした。映画はみんなで楽しむものだというのが、当時の映画ファンの感覚だったように思います。

ミニシアターブームは最高だった

 当時は、本当に映画だけが心の救いでフェリーニやゴダールからB級映画まで、様々な映画を見漁っていました。今では日本での上映権の切れてしまった、ヨーロッパ映画などもたくさん見ることができたのは幸運なことでした。

 そういった、マイナーなヨーロッパ映画をたくさん見ることができたからこそ、今の私の見分があるかと思うと、ありがたい限りです。

 ロッキーホラーショーの動画を見ながら、「ああ、あれが私の青春時代だった…」「あれから40年たったのか…」と、回顧の気持ちで少し涙が出てきてしまいました。

 これまで生きてきた年月よりも、これから生きられる年月の方が少ないのだと思うと、人というのは少なからず「過去」によって構成されているのだと、しみじみとしてしまうのです。

おわり

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