Aさんにとって大学/会社で、話す機会がちょくちょくあるという程度の関係性のBさんがいたとしましょう。AさんがBさんに「こんにちは」とあいさつをすると、Bさんは何も言わずに通り過ぎました。
【質問】
さて、このケースでAさんは、どのように感じる可能性があるでしょう?Aさんの立場で感じそうなことを可能な限り多く列挙してください。
こういった設問は、当然ながら正解はありません。最初から答えが複数あり、さらにはより多くの答えを思いつくことに意味があるからです。そして、より多くの答えを思いつくためには、多くの違う考え方に触れる必要があります。いわゆるケーススタディです。
そういった意味では、「自分の固定観念」という一神教を熱心に信じているタイプは、多様性について学ぶ機会が少なくなってしまうのは当然のことです。自分教は自分に対する宗教にすぎず、他者には他者の宗教があると、まずは受け入れることが大切です。そして、他人の宗教を尊重できて初めて、人間というのは自分教も尊重できるようになると思うのです。
さて、私が思いついた「Aさんの感じ方」をここで列挙しておきましょう。
- 私に問題があるからだ。私が悪いからだ。(自責)
- 挨拶をしないなんて騙された!(無知or戦略不足)
- あいさつしないBさんが悪い(他責)
- 挨拶をされないと寂しい(依存心)
- 挨拶をしてほしい(依存心)
- 私に「挨拶をしたい」と思われたい/思ってほしい(逆依存心)
- なぜ挨拶をしないんだ!(批判・非難)
- 挨拶しない人が怖い(恐怖心)
- あいさつをしない人は許せない(断罪)
- 挨拶しない人は嫌いだ(嫌悪感)
- 挨拶しない人は敵だ(敵意)
- 挨拶されないと腹が立つ(怒りの発露)
- 挨拶をしないなら嫌がらせをしてやろう(悪意)
- 挨拶しないなんて信じられない(自分教妄信)
- あいさつしないなんて理解できない(理解できない事柄に対する拒絶感)
- あいさつしない人は変わっている(常識至上主義)
- あいさつしない人は間違っている(自分こそが正義)
- Bさんが挨拶しないことで私の心が傷ついた/ショックを受けた(被害者意識)
- Bさんが(意図的に)私を無視した(不信感+被害者意識)
- 挨拶をしない人は馬鹿だ(縦関係嗜好/見下し)
- 馬鹿にされた(縦関係嗜好/被害者意識)
- Bに挨拶をさせるような人間になってやる(競争心)
- 挨拶をしないなんて失礼だ(礼儀作法至上主義)
- 挨拶ができないなんて最低だ(軽蔑)
- 「あいさつすらできないのー」と笑う(嘲笑)
- 挨拶してもらえないなんて悲しい(悲観)
- あいさつなんてどうでもいいじゃーん(快楽主義)
- このことについては考えないでおこう(モラトリアム)
- 怒ってるのかな?(感情の推測)
- Bさんは私を責めている(被害妄想)
- 挨拶をしないなんて嘘だ/嘘だろ?(現実逃避のために嘘だと思いたい)
- きっと私のあいさつに気づかなかったのだろう(ポジティブ思考)
- 挨拶をしたいと思われるような人間になりたい(向上心)
- 気づいてないなら私から挨拶しよう(軽率)
- しばらく様子を見よう(警戒)
- 挨拶をしないということは何か裏があるはずだ(猜疑心)
私が、ぱっと思いついたAさんの心情はこんな感じですが、まだまだ違うケースがありそうです。
ここでさらに、Aさんが教育学/心理学を学んだ経験があると想定し、AさんがBさんに対して「幼少期に(育児放棄という)虐待を受けた人だ」という仮説を立てたとしましょう。そうすると、
14・私のあいさつに気づいたが、「こんにちは」と言われたら「こんにちは」と言い返すという知識がない(教育を受けていない)のかもしれない
15・私のあいさつに気づいたが、とっさに「こんにちは」と返す訓練を、まだしていないのかもしれない
という観点からBさんを捉える可能性もあります。
BさんがAさんに挨拶をかえさなかったというシンプルな事実に対してだけでも、人の感じ方は数十通りはあることでしょう。あなたはどの感じ方に当てはまり、どのような感じ方の癖を持っていたでしょうか?
起こった出来事がもっと複雑なら、人の感情ももっと複雑ですし、想定しなければならない状況に至っては、少なくとも数百通りになってくることでしょう。
自分の価値観(感じ方)を押し付ければ、相手の価値観を押し付けられますし、相手に価値観を押し付けられれば、自分の価値観を押し付けたくなるのが人間です。
いい悪いの話ではなく、自分が満足できるなら、他人の価値観で生きてもよいでしょうし、自分の価値観で生きてもよい、あなたには選択する権利があるのです。そして、それが憲法で保障されている「人権」です。
これは、少し行きすぎた考えかもしれませんが、「安楽死」の制度化を求める人々の心情を思うと、私自身はその「人権」をつかむ自由も、放棄する自由もあってよいのではないかと感じることがあります。
ただ、こういった分析をされていらだつのは、「周囲にあなたを責め続けた人」がいたからでしょう。それは親かもしれませんし、恋人かもしれませんし、配偶者かもしれません。もしくは学校の同級生や部活の先輩、会社の上司や先輩だったかもしれません。
言葉で責めるパワハラだったかもしれませんし、「態度」で責めるモラハラだったかもしれません。何を言われても「無神経なんだ!こっちは傷ついてるんだ!」「つ、つらい…」と思うようなら、あなたは被虐待者なのでカウンセリングに行きましょう。
精神科に偏見を持たないでほしい、精神科にいる心理士にまで偏見を持たないでほしい。自分自身に偏見を持たないでほしい。精神医療従事者は本来はあなたの味方です。ですが味方は味方の顔をしていないものです。淡々と話を聞いてくれるのが良い医師です。自分の価値観を押し付ける医師や心理士は、未熟なだけだと患者側も配慮するしかないのです。そして、合う医師、心理士のいる病院を探してください。
さて、あなたは私の想定した感じ方の中のどれかに当てはまっていましたか?複数個該当した人もいるかもしれませんし、これら以外の独自の感じ方をする人もいるかもしれません。自分が他者の行動を捉える時に、どのようなフィルター(色眼鏡)を通しやすいか考えてみることは、非常に有益なことだと思います。そしてそのフィルターに自分の感情を振り回されないようにしたいものです。
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