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50代、精神疾患持ちのシニア主婦ブログ。

死にたいと思ったことある?の質問への回答

 

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 私は、今でいうところのヤングケアラーでした。ヤングケアラーとは大人の面倒を看る子供のことです。

 私が物心ついた頃には父は重度の統合失調症で、母親は父親からの度重なる虐待で離婚し父親から逃げてしまっていました。ですから、我が家は父子家庭。心理学者の加藤諦三氏は「機能不全家族では、一家にひとり「生贄(いけにえ)」が出る。」と言っています。私はまさにその、生贄でした。簡単に言うと父親のサンドバッグ。

 精神的にも、肉体的にも私を殴っておけば、父親の気が晴れる、そういう存在でした。グーでぼこぼこに殴られるのは当たり前でしたし、毎日のように「お前はブスだ、鼻はこのように醜くて目はこのように醜くて…(延々続く)そして、お前は頭が悪い、お前の母親の頭が悪いからだ、だいたいお前の母親はお前を堕ろすって言ったような女だ!(延々続く)

 このような暴言を毎日、1時間近く叫び続けるのです。私は布団の中に入り、耳をふさぎ、「ああああああああ」と大きな声を出し、父親の声をかき消すようにつとめていました。彼の暴言を聞き続けたら、私の精神が崩壊すると子供心に自分の身を守っていたのです。

 暴言だけで去っていく時はいいのですが、肉体的暴力が始まると、グーでボコボコに殴られるので、布団越しでもかなり痛く、小学校高学年になるとこちらもグーで殴り返すという応戦に出るようになりました。

 ボクシングのようにグーで殴り合い、階段の踊り場で父親ともみ合いになった時、今ここから父親を突き落とせば父親が死んでくれる!と、突き落とそうとしたのですが、やはり小学生の女子と大人の男では力の差があり、負けてしまいました。

 敗北したら、もう家に居場所はないので公園や神社で夜を過ごしました。殴られて逃げて外に出ているわけですから、上着を着る暇も、靴を履く暇もありません。冬は寒くて寒くて我慢できず、夏は暑いだけならいいのですが、蚊が体中を刺して来て、全身がかゆくて地獄でした。

 そんな思いをさせられても、父親は外でも問題を起こし、警察に捕まるので、子である私は警察に父親を引き取りに行かなければなりませんでした。

 父親に馬乗りで押さえつけられ首を絞められて殺されかけた経験を私、母、祖母は体験しています。父親は祖母に虐待を受けて育っており、母性に極端に飢えた男性だったと言えるでしょう。ですから、「女」を心から憎んでいました。だから攻撃のターゲットは常に「家庭内の女」でした。

 逆に家庭の外にいる女性には、結婚を申し込んだりしていたようです。きっと彼は自分を受け止めてくれる女神を求めていたのでしょう。ですが、実際は二人の女性と結婚するも逃げられ、祖母は隣に住んでいるはずなのに(父の暴力を怖がってか)ほとんど帰ってこない。

 女性に甘えたい欲望はとうとう娘の私に向けられ、父は小学生の私に膝枕をして耳かきをするようせがんできたりしました。小学生ながら、気持ち悪い…と思っていました。自分が女性を大切にしないから、自分も女性から大切にされない、育ちのせいか、精神疾患のせいか、父は全くそのことに気づいていませんでした。

 自分が人から大切にされたことがないから、人を大切に扱うというやり方が分からなかったのかもしれません。大人になってから、そのような父の哀れさも分かるようになりました。働くようになってから、初めて他人から大切にされ、守られるという体験をしたからです。

 私自身も職場で大切にされたり、恋人に大切にされたりする体験をしなければ、人を大切にするやり方が分からないまま、わがままで無神経な大人になったかもしれないと今となっては思います。

 ですが、私は小・中・高と精神障碍者の父と過ごし、父から、そして、地域の人達から世間の厳しさばかりを学んでしまっていました。

 世の中がいかに理不尽で不公平で、いかに大人は冷たくいじわるで利己的なのかを学んでいたのです。

 18歳までの私がそれまでの人生で学んだ教訓は「戦わなければ、(自分自身が)壊される」ということでした。自分の血族や、学校の先生、ご近所さんまで、大人とは駆け引きをしないと、自分が不利に立たされる、私は子供ながらにそのことを学んだのです。

 生まれてこの方、「私の苦しみを誰も分かってくれない。」と嘆く人にたくさん出会ってきました。そういった人達は、まるで苦しいのは自分一人だけのように錯覚しています。ですが、地球上に70億人の人が住んでいるなら70臆種類の苦しみがあるだけのことなのです。

 ひとりひとり環境や状況に応じた苦しみを持っているので、相手の苦しみの種類など分かるはずもありません。王に貧民の苦しみは分からないし、貧民に王の苦しみは分からないのです。ですが、王にも貧民にも等しく苦しみがあるのです。

 そのことに気づいたのは高校の頃のことでした。常に何事に対しても「負けてたまるか!」と気を張っていた私ですが、時々ホロっと「死にたい」と口をついてつぶやいてしまうことがありました。

 一番死にたいと思っていたのは小学生の頃で、中学生になったら、こんな血族のために自分の人生を棒に振るなんて損だ、血族にどんなに足を引っ張られても振り払って、自分自身の力で勝ち上がってやる!と思うようになっていました。

 ですが、やはり、時々は「死にたい」の感覚がおそってくることがありました。

 そして高校生の時、きっと私はノイローゼ気味だったのでしょう。高校の担任に「先生、死にたいと思ったことある?」と聞いてしまいました。すると担任はあっけらかんと「あるに決まってるじゃん。」と答えました。私は拍子抜けしてしまいました。

 「そんなこと言っちゃいけないよ。」と説得されるとか、「どうした?何かあったのか?」と心配されるとか、私の中でのシナリオではそのようなことを漠然と想像していました。ですが、全く予想もしていなかった回答が返ってきて、呆然としてしまいました。少なくとも、もっと大人っぽい、賢そうな回答が返ってくると思っていたのです。

 そして、私が育ったド田舎では、かなり地位も給料も高い職種の「高校教師」という特権階級でも「死にたい」と思うものなのだという驚きがありました。地域でも有名な国立大学を卒業し、大学院まで出て、高校教師という地位まで持っている。ド田舎高校生から見れば恵まれた境遇にあるように見える人なのに、死にたいと思うんだ…という驚きがあったのです。

 その回答が、私にとってはあまりにもとっぴょうしもない回答に感じられたので、別の回答を求めて、今度は社会科の先生に「先生、死にたいと思ったことある?」と聞いてみました。すると、その先生は、「人間、生きてれば二度や三度は死にたいと思うもんなんだよ。」と答えたのです。

 私は、また驚きました。担任の先生も、社会科の先生も人間が「死にたい」と思うのは当たり前のような言い草だったからです。しかも「一度や二度は死にたいと思う」ではなく、「二度や三度は死にたいと思うもの」と回数を多めに言われたことも、私の中では引っ掛かりました。「それだけの地位にあっても、そんなに何回も死にたいと思うものなんだ…」、と思うと妙な納得のいかなさと、妙な安心感がもたらされました。

 高校生だったから当たり前のことですが、私は子供で自意識過剰でした。「死にたい」などと思うような不幸な境遇にいるのは私だけ、あるいはごくごく限られた一部の人達だけだと思っていたのです。

 もう一度書きますが、人類が70億人いるのであれば、70億種類の苦しみがあるだけ。苦しみを持たない人など誰一人としていない、半世紀も生きた今ならそのことが分かります。

 ですが、苦しみの渦中にいる人間は、まるで苦しんでいるのは世界で自分一人のように感じてしまいがちです。苦しみの渦中にいる人は、「私の苦しみはあなたの苦しみとは重さが違う」と、苦しみマウントをとってしまいがちなのです。かつての私もそうでしたし、この先、また大きな苦しみがおそってきたら、私もまたその心境になるのかもしれません。

 昔、夫が私に「何のために生きているか分からない。」と言ったことがあります。私の回答は冷たいものでした。「人間が生きることに意味なんかないよ。その辺に生えている草花が、自分の生きる意味を考えながら生えていると思う?ただ、生まれて死ぬまで懸命に生きる。それが生命というもので、それ以上でもそれ以下でもないと思うよ。」と答えました。

 私自身、自分探しのために外国で暮らしたこともあります。外国に行けば全てが変わると、やはり若さからくる愚かさで妄想していたのです。昔は、外国で暮らしたことをうらやましがられることもありましたが、「海外に行っても、働いて、食べて、寝て、う〇こして、限られた休日に遊んでっていうのは日本にいる時と何も変わらないよ。言葉と文化が少し違うだけ。」と、私はそのたびに答えていました。

 思ったことをつらつらと書いてしまいましたが、50年も生きてしまうと、死にたいなどと思わなくても、死が向こうからものすごいスピードで近づいてきてくれます。友人、知人がもう何人も死にました。

 私が、今現在若い人と向き合う時、大人ぶった上から目線の気取った回答をせずに、あの高校教師達のように、等身大の弱くてもろい自分をさらけだせるか、と思いを馳せてしまう高校時代のなつかしい思い出です。

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