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50代、精神疾患持ちのシニア主婦ブログ。

東日本大震災の津波の様子をテレビの生中継/生放送で見てしまった

 

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 私は広島に住んでいた頃に震度6の「芸予地震」を体験しました。芸予地震は、私の住んでいた安アパートの漆喰の壁が全て剥がれ落ちるほど大きな地震で、震度6弱を記録しました。

 そして、関東に引っ越してきて数年後に東日本大震災が発生しました。私は芸予地震と同等かそれ以上の揺れに「これはかなり大きな地震だ。かなり危ないかもしれない。」と思い、NHKをつけました。すると「 津波が発生しました!」と南三陸町の上空からヘリが津波の中継を始めました。 生放送です。今現在起こってることを放映しているのです。 画面を見ていると、町がどんどん津波に飲み込まれていきました。

 

 何回も言いますが、これ生中継です。

 

 ナレーションや解説などはなく、淡々と港町が津波に飲み込まれていく様子がテレビで流されていたのです。NHK側もあまりに大規模な地震すぎて、情報収集が大変すぎて 「情報が集まるまで、とりあえず現場の映像流しといて!」みたいな大騒動だったのかもしれません。だからそんな残酷な映像が生放送されたのだと推測されます。

 

 最初は海辺の港町が飲み込まれてゆきました。津波のスピードはゆっくりに見えましたが、人が走ったくらいでは飲み込まれてしまうスピードだったと思います。あまりにもむごすぎて記憶を消し去ってしまったのか、人が飲み込まれていく姿は覚えていません。ただただ、人が住んでいるであろう家や、人が乗っているであろう車が津波に呑み込まれいく映像でした。

 

 「えっ!えっ!これ、人が住んでる家でしょ?人が乗ってる車でしょ??」

 

 怖いと同時に驚きすぎて、怖いからテレビを消そうという発想すら思いつきませんでした。もう一度言いますが、人が住んでいるであろう家と、人が乗っているであろう車が、ただただ何個も何個も津波に飲み込まれていったのです。

 住宅地にまで津波が達した時、津波の高さにも気づきました。二階建ての家は軽く飲み込まれていたので、建物の3階以上の高さだと推測できました。そして住宅地を飲み込んで、今度は山側の畑を飲み込んでゆきました。

 「えっ!えっ!この津波は海から何キロ内陸まで進むの???えっ!えっ!」 農地を飲み込んでいる頃には、常に山が画面に映りこんでいました。

 「えっ!えっ!津波ってこんなに山側まで来るの??」 結局、山の上のほうは飲み込まれませんでしたが 山と山の間の、谷にある住宅すら飲み込まれてゆきました。

 そして、津波が住宅に当たった瞬間にその住宅に火がついてゆきました。火を使っていたということでしょうから、確実に中に人がいたのだと思います。 「あっ!燃えたっ!」と思ったと同時に家が砕けて燃えながら流されてゆきました。そして、そういう燃えながら 流されている家が画面の中に何軒も映りこんでいました。

 これを書きながらも体が震えます。その生中継を見てしまったのです。 東日本大震災後に、マスコミ関係者、特に編集者の多くがうつ病になったそうです。人が津波に飲み込まれて死んでいく場面を見つけて消さなければいけない仕事だからです。

 また、震災後の取材班もたくさんの死体を見ることとなったのでしょう。東日本大震災の取材に行った丸岡いずみさんなども、それがきっかけでうつ病になったそうです。

 私は歳も歳ですから、お葬式で死体を何体も見たことがありますが、さすがに目の前で人が何百人も死んでいく姿は見たことがなかったので、この映像をみたトラウマは数年間は私の中から消えませんでした。

 あの数十分の生中継の記憶は、今も私の脳裏に焼き付いて離れません。

(実際に何分だったかは、時計をみていたわけではないから分かりません。でも、私には何十分にも感じられました。)

 歳を重ねるにつれて、見聞きした物事の数が増え、ノイローゼになりやすくなると私は思います。だから、それを乗り越える力も強くしなければ…と思いますが、そんなに簡単にはいかないのが人間。それでも生きてゆくのが人間。 命があるということが全てです。その命もいつか尽きると分かっていて、必死に生きていくのが人間。そう思います。

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