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女性のミッドライフクライシス・中年の危機*女が老いるということ

 

中高年が陥る心のもやもや

 最近、中高年の心の闇のようなものを感じることが多くなってきています。「35過ぎるとでかい無が見えてくるので、対処しないでいるとそれに呑まれる」という小林銅蟲氏の言葉に、うんうんとうなずきながらも、「でも対処って言ったって何ができるの?」と思ってしまう自分がいます。

 phaさんが中年の危機について「すごくわかる」と書いているのに対して、シロクマ先生は「イマイチわからない」と書いています。

pha.hateblo.jp

p-shirokuma.hatenadiary.com

 この二人の感覚の違いは、有り余る時間があるかないかという違いだと感じています。シロクマ先生は医師として多忙にしているだけでなく、執筆活動も子育てもしているので、息つく間もなく「やることがある」状態だから、余計なことを考える暇がないのだと思います。

 それに比べて、Phaさんは「毎日寝て暮らしたい」くらい、自由で省エネな人生を生きてきたからこそ、自分自身について考える時間が有り余るほどあり、じぶんの中にあるもやもやに気づくことができているのだと思います。

女50歳のミッドライフクライシス

 ウィキペディアで調べてみると、「中年の危機(ミッドライフクライシス)」の要因は以下の通りだと書かれています。

  1. 加齢による身体的変化
  2. 家族ライフサイクルの変化
  3. 職場での変化

 私自身のミッドライフクライシスは50歳くらいから始まりました。10代は学問に必死、20代は自分探しで必死、30代は生活苦で必死、40代は夫のケアで必死、そして、50歳でやっと色んなことが落ちついたと同時に、抜け殻のようになってしまいました。

 子供がいれば、子供に必死になっていたのかもしれませんが、私には子供がいません。ですから、目の前にあるのは、有り余る時間だけなのです。

 近視の悪化や老眼で目が見えなくなってきたり、記憶力、集中力が低下したり、頭髪が白髪だらけになったり、けがをしたわけでもないのに、体のあちこちが痛くなる。

 若い頃にはできていたことが、年老いた現在ではできなくなっていたり、できないとまで言わなくても、スピードがゆっくりになったり、億劫になったりする、ただそれだけでも、自分の「老い」を感じずにはいられません。

 私は社交的で交友関係が広かった分、50代、60代で亡くなった人たちが周囲に沢山います。私の父は60歳で亡くなり、母は70歳で亡くなりました。ですから、50歳を過ぎてからは「死」というものが、どんどん自分の身に近づいてきていると感じられるのです。51歳の現在、「60歳で死ぬとしたら、あと10年、65歳で死ぬとしたらあと15年しか生きられないわけかぁ…」と、諦観のようなものを感じてしまいます。そうすると、余計に、無力感にさいなまれるのです。

あきらめきれない女性性の魅力

www.youtube.com

 西原理恵子氏は、女性は20代まではちやほやされるけれど、30代になると「ババァ」になってしまい、女性としての価値が「2億円から500円」に下がると言っています。

 youtubeで動画をみていると、美容系の広告で「白髪で夫に相手にされなくなった。」「顔のシミのせいで夫に相手にされなくなった。」、そんなあなたにこのシャンプー、そんなあなたにこの美容液などといった加齢コンプレックスの広告をよく見かけます。

 加齢に伴って、人間が白髪になったり、シミやシワができたりするのは当たり前のことです。ですが、女性は加齢に伴う容姿の劣化を男性よりもはるかに気にしなければならない社会であることが、これらの広告ひとつとっても分かります。

 夫と知り合った38歳頃の写真です。私は独身主義者だったので、38歳で夫に出逢うまで、恋愛をゲーム感覚で楽しんできたタイプです。正直に言うと、私の人生において「恋愛は最大の娯楽」でした。

 人によっては、恋愛を「結婚までの通過点」と考える人もいるようですが、私は恋愛の舞い上がるようなドキドキ感を楽しみたいタイプだったので、不定期に相手を変えて恋愛を楽しんでいました。

 25歳の頃の写真です。女友達と一緒にボーイフレンド談議に盛り上がっていました。

 これが51歳現在の写真です。自分がおばあさんになったという自覚があるので、色気を出すのはやめて、化粧すらもしなくなりました。ですから、この写真もすっぴんです。髪の毛は染めないと真っ白だと思います。若い頃に比べると目が垂れ、顔もたるみがでて、おばさん顔おばあさん顔になったと思います。我ながら、自分の容姿の劣化にはがっかりしています。

 瀬戸内寂聴氏は40代で二股交際しており、51歳で出家してからも、肉体関係を持ちたいと言って来た男性はいたそうです。ですが、瀬戸内寂聴氏は出家してからは、「SEXをしない。」と決めており、口説かれてもなびいたいりはしなかったそうです。また、瀬戸内寂聴氏の書いた本の中には老人の恋愛模様を取り上げたものもあり、歳をとったからと言って恋愛をしなくなるわけではないということを世間に知らしめました。

 私自身も50歳前後で第二のモテ期が訪れ、数名の既婚男性にアプローチを受けました。男性の中には自分自身が既婚でも、相手の女性が既婚でも気にせずアプローチしてくる人達がいるのです。そういった男性達は実際に魅力的ですし、社会的地位も、お金もある、自分に自信がある男性達です。

 私自身は過去にしっかり恋愛を楽しんできましたから、恋愛に未練はなく、口説かれても軽くかわせるくらい大人になれたと思っています。

 ですが、上記のように白髪やシミ、シワのせいで夫に相手にされなくなったというような広告に引っ掛かってしまうような50代女性たちは、男性達に口説かれることで、「私の女性性はまだ現役なんだ。」と思え、彼らの毒牙に引っ掛かってしまうのではないかと思えたりします。

 私自身も顧みればそういうところがあると痛感しますが、女性というのは、「老い」ということと「女性性の劣化」ということを同列に嘆く傾向にあると思えます。

女性は誰かに必要とされることを軸に物事を考えやすいのかも?

 男性の「中年の危機(ミッドライフクライシス)」は、自分は何者にもなれなかったといったような社会的成功の有無ではかられるのかもしれませんが、女性の中年の危機は「女性としての魅力が失われていくことへの恐怖」から起こるものなのかもしれません。

 「母親」になって女であることをあきらめた女性達でさえも、無条件に自分を必要としてくれる「子供」に「母親」として必要とされることを求めていたりします。

 いつまでも、子供の世話を焼きたがる母親は「必要とされたい」というタイプの依存心の強い女性だと私は思っています。

いつまでも若く美しくと思えるエネルギッシュな女性

 私自身が中高年なので、50代、60代の中高年のブログを読むのが好きで、よく中高年女性のブログを読みにいったりするのですが、60代になってもかつらを買ったり、家庭用の美容機器を買ったりして、いつまでも若く美しくいたいと頑張っている人もいます。

 彼女らは、モテたいといったような不純な動機からではなく、ただ単に自分自身が美しくありたいという願望から、美容にせいを出しています。

 60歳過ぎて、いくらかつらをかぶろうが、美容機器でマッサージをしようが、おばあさんはおばあさんだよ…と私はあきらめてしまうタイプなのですが、そのような女性たちは、そういったケアをすることで「若返っている、美しくなっている」と錯覚できているようです。

 正直に言えば、そのように錯覚できる女性達がうらやましいです。中年の危機に陥ってしまうような人間は、私のように「もうおばあさんなんだから、これはできない、これはやらない。」といったようにあきらめてしまう人間なのかもしれません。

60歳からヨガ講師を始め精神的自立を果たした義母

 私の義母は夫がやんちゃで社会不適合者であったため「子育てに失敗した…。」となげくことに明け暮れていました。「この子を家の外に出したら、浮浪者か犯罪者になる。」と常々口にし、世話を焼いていました。

 ですが、夫よりさらに凶暴な私に息子を託すと決めてから、義母は息子に一切手を出さず、自分自身の老後の人生設計を始めてしまいました。

 59歳で派遣で働きながらヨガインストラクターの資格を取り、60歳で実際にインストラクターとして独立しました。60歳というお年にも関わらず精力的に地域にビラ配りしたりして、顧客を獲得していきました。

 子供たちの母親であるという立ち位置しか、心の依存先をもたなかった義母は、ヨガインストラクターとして「先生!先生!」とちやほやされる環境に楽しみを見つけました。さらにヨガ教室ブログを始め、毎日のように更新したり、年に2回海外旅行に行ったりと、人生を謳歌しました。

夢見ることをやめてしまった中高年が私

 義母の60歳からの再起の物語は、50代、60代の夢見る女性達には勇気を与える物語かもしれません。そう考えると、私は夢見ることをやめたのだと感じてしまいます。

 先日、夫に「夢も希望もない」とぼやいてしまいました。精神疾患のためか、ほとんど起き上がっていることができず、寝たきりの生活を送っているからです。以前は、そう状態の症状からか、やる気が出る時もありましたが、今現在は常に頭の中が諦観で満たされています。冒頭で書いた「でかい無」というのはこの慢性的な諦観のことなのかもしれません。

 何もやりたいことはないし、何もほしい物はないという「でかい無」に包み込まれた状態は、退屈ではありますが、そんなに悪い物でもありません。

 世間から一歩退いて俯瞰して社会を見ていると、「人生一生現役だ」とジタバタあがいている人達がとてもいとおしく見えてきます。どんな愚かしいドタバタ劇を演じている人達であっても、「元気があっていいなぁ。」と暖かいまなざしで見ることができるようになってしまいました。自分にはない輝きをそういった人達の中に見てしまうのかもしれません。

 慢性的な諦観の中にいる私は、やりたいこともないので、簡単に道や時間を人に明け渡してしまいますし、欲しいものもないので、どんどんお金がたまっていきます。壮大な退屈さの果てには、心理的、経済的余裕が待っていたのです。

 「あとは10年か、20年生きて死ぬだけだ…何の責任も負わず、何の目標も持たず、のらりくらりと生きているだけでいいんだ…」と思えるのは老人の特権のような気もしてきています。

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